
「大久保塚」は、八王子市元横山町3丁目に所在したとされる塚です。開発により削平されて現在は消滅している塚ですが、『東京都遺跡地図』には、八王子市の遺跡番号132番に登録されています。
この塚は、江戸地代の地誌類に記述が見られるなど古くから知られた存在であったと考えられ、『新編武蔵風土記稿』には「八幡宿と八日市宿の間の横町を上野原村へ行く大路の西側にて、小門宿へ通る大路の角にあり。元禄十五年(1702)のころまでは西南北の三方に土手ありて、内に井戸などもありしが、北の方の小門宿道付きの土手は切り崩し、西南は近き頃までもありけるが近年みな切り崩して、西の隅の土手の上に稲荷の小祠あるゆえ、そこばかりを切り崩したり。惣土手の高さは一丈程なり。稲荷の社地ばかり残りたれば、塚の上に社あるさまに見ゆるなり。(後略)」と書かれています。
大久保塚は、これらの地誌類の記述により、徳川時代初期の大久保石見守長安の関係者の塚、または「古塚」と呼ばれた塚ではないかと想定され、昭和43年(1968)6月13日から17日にかけて発掘調査が行われました。当時の記録によると、塚の規模は径12~16m、高さは3mほどで、出土遺物が何もなかったことから、どんな性格の塚であるかはわからなかったようです。

この大久保塚は、往時には松の木が立っていたといわれ、明治時代には「御嶽山」と刻まれた石碑が建てられていたといわれています。現在、塚は完全に消滅してしまったようですが、跡地に建てられた保育園の敷地内には、今も「御嶽山」の石碑が残されています。
<参考文献>
東京都教育委員会『文化財の保護 第二集』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2018/03/02(金) 00:22:46|
- 八王子市の古墳・塚
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