
画像は、狛江市猪方3丁目に所在する「猪方小川塚古墳」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号39番に登録されている古墳です。画像は、平成23〜24年に発掘調査が行われた後の、平成24年10月に行われた現地見学会にて撮影しました。
狛江古墳群に属する古墳は、これまですべて竪穴式の石室を持つものと考えられてきましたが、この古墳の主体部は横穴式石室であることが判明しています。画像のように天井と壁面は一部が破壊されてはいるものの、壁面や床面はきわめて良好に遺存されています。また、河原石積みの横穴式石室が主になる多摩川中流域から下流域の古墳の中で、切石積みの石室が発見されたこの古墳は数少ない貴重な事例であるようです。発掘された周溝から古墳の規模は直径約22mの円墳であり、7世紀代の築造と推定されています。

昭和35年(1960)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査の際に、すでにこの古墳は把握されています。『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている『狛江古墳群地名表』には、91番の「小川塚」という名称で円墳として取り上げられており、「竹林となる 径12〜15m 高さ2m 防空壕址あり 台地南側縁辺部に位置する」と書かれています。この分布調査時に残存した古墳のうちの16基が実測調査されたものの、この小川塚は測量はされなかったようです。
その後、昭和51年(1976)に行われた分布調査の際には、一度は消滅した古墳として扱われてしまいますが、昭和54年(1979)に追調査が行われ、「猪方小川塚古墳」の名称であらためて残存する古墳として扱われます。この調査の結果が、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されており、次のように書かれています。
1. 猪方649番地の小川家宅地内の南東隅に微高を示す竹林があり、底から主体部の一部が検出された。また挙大の礫がみられ、葺石があったと思われる。
2. 上記古墳の西約100mの地点から、直刀片が採集されているが、古墳の存在は不明である。
3. 猪方小川塚は、現存しない古墳の項で述べたが、再調査の結果、墳端部は削平されているものの1960年当時と近い状態を示して残存していた。さらに今回、葺石を確認することができた。現在は本城家宅地内にあり、まわりを家屋で囲まれていたため見落としていたものである。(『狛江市の古墳(Ⅰ)』18ページ)
しかしその後、平成4年(1992)に多摩地区所在古墳確認調査団により行われた調査ではまたもや消滅した古墳として扱われ、平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「消滅。円墳。文献101(狛江市の古墳Ⅰ)によると昭和35年の分布調査の際には径12〜15m、高さ2mの高まりがあったとされている。また、昭和54年の追調査では葺石を確認したとある。」と記されています。
「まわりを家屋で囲まれていたため見落としていた」として消滅扱いされていた古墳を追調査しておきながら、さらにその後の調査で見落とされるというのも残念な状況かとは思いますが、こうして無事に発掘調査されて保存されることになったのは喜ばしいことだと思います。



現地見学会では、出土した須恵器、鉄鏃、耳環などの副葬品が展示されていました。
<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』
狛江市教育委員会教育部社会教育課『平成24年10月14日・21日 猪方小川塚古墳現地見学会』
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- 2012/12/31(月) 05:33:13|
- 狛江市/狛江古墳群(猪方)
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| コメント:2
こんにちわ。
有名なわりに実態がよくわからないまま、多くの古墳が湮滅していった狛江古墳群の中で、今回の成果はとても貴重なものであると思います。
いつも楽しく拝見させて頂いております。昔、訪れた古墳あり、知らなかった古墳ありでとても勉強になります。
また、新年も宜しくお願い致します。
- 2012/12/31(月) 10:11:35 |
- URL |
- kame-naoki #-
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あけましておめでとうございます。
なにぶんにも素人が趣味でやっているものですから色々間違いもあるかもしれませんが、コツコツと更新していこうと思っております。
今年もよろしくお願いいたします。
- 2013/01/02(水) 22:46:15 |
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- ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
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