古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

梅若伝説 その2 「梅若塚」

「梅若塚」

 今回紹介するのは、墨田区堤通2丁目に所在したといわれる伝説の塚、「梅若塚」です。

 この梅若塚は、『東京都遺跡地図』には墨田区の遺跡番号1番の「近世の塚」として登録されており、昭和30年(1955)には東京都の旧跡に指定されています。この一帯は、昭和47年の都市計画決定から同57年3月にかけて都市再開発事業による防災拠点都市建設が行われており、残念ながら梅若塚は木母寺とともに移転を余儀なくされており、かつての梅若塚は消滅。塚の跡地は「墨田区立梅若公園」として整備されて説明板や石碑が建てられており、わずかながらも往時の面影を偲ぶことができます。
 画像は、この梅若公園を南東から見たところです。

 この梅若塚には、ある有名な伝説が残されています。
 時に平安期の貞元元年。京都北白川に住む吉田少将帷房(これふさ)・美濃国野上長者の一人娘花御せんの夫妻の子、梅若丸は、五歳にして父親と死別、七歳の時に比叡山月林寺へ入り、彼ほどの稚児はいないと賞賛を受けます。これをねたんだ松若殿に襲われた梅若丸は、山中をさまよった後に、大津の浜で信夫の藤太という人買いにさらわれてしまいます。しかし、奥州へと向かう途中、隅田川のほとりで幼い梅若丸は病に倒れ、里人たちの看病の甲斐なく帰らぬ人となってしまいます。貞元元年(976)三月十五日のことで梅若丸はわずか12歳でした。その折、その死を哀れんだ出羽国羽黒山の高僧で下総の御坊忠円阿闍梨が里人と墓を築き、一本の柳を植えて菩提を弔ったのが梅若塚であると伝えられ ています。
 そしてその後、わが子恋しと梅若丸の行方を探し求めた母親が隅田川のほとりにたどり着き、渡し守から梅若丸の死を知らされたのは翌年、ちょうど一周忌の日のことでした。その晩、悲嘆の涙にくれる母とともに大念仏が催されているその時、一目でも会いたいという母親の願いが通じたのか墓から梅若丸の亡霊が現れます。しかしそれも束の間、再びその姿は消え去ってしまいます。
 その後、塚のかたわらには庵室が営まれて母親はそこで暮らしていましたが、わが子が忘れられない母は、遂に浅茅池に身を投げてしまいます。

 この悲しい物語は、謡曲「隅田川」や、歌舞伎の隅田川物・浄瑠璃「雙生隅田川」等の芸能・絵画に取り上げられ、広く知られることとなりました。梅若塚は、この謡曲「隅田川」で知られる梅若伝説の伝説の人物、梅若丸の墓であるとされています。


「梅若塚」

 画像は、梅若公園に建てられている、東京都教育委員会による説明板と「梅若塚旧蹟」の石碑です。説明板には次のように書かれています。

東京都指定旧跡
梅若塚
     所在地 墨田区堤通二の六
     区立梅若公園
     標 識 大正九年三月
     指 定 昭和三〇年三月二八日
 梅若塚の梅若丸は伝説上の人物で、謡曲
「隅田川」で知られます。梅若丸は京都北白
川の吉田少将帷房の遺児で、比叡山で修行中
に信夫藤太と言う人買いによりさらわれ、奥
州に向かう途中隅田川のほとりで死にます。
その死を哀れんだ天台宗の高僧忠円が築いた
墓が梅若塚であると伝えられます。
 木母寺は忠円により梅若塚の傍らに建てら
れた隅田院梅若寺が始まりとされます。塚は
梅若山王権現として信仰を集めました。木母
寺は当該地周辺にありましたが、白髭防災団
地建設に伴い現在地に移転しています。
平成二四年三月 建設  東京都教育委員会



「梅若塚」

 実は、かつての梅若塚は、古代に築造された古墳だったのではないかとする説が存在しました。
 人類学・民族学者である鳥居龍蔵氏は、著書『上代の東京と其周囲』の中で「梅若塚の感想」という論文を発表していますが、博士はこの論文の中で、江戸期に書かれた梅若塚に関する文献を数多く取り上げて考察しており、梅若塚は一部の学者が言うような新しいものではなく、古墳であると推測しています。

 画像は、『上代の東京と其周囲』に掲載されている梅若塚の写真です。(同書は昭和2年の発行ですので、おそらく大正後期から昭和初年あたりのものであると思われます。)道行く人の背丈よりも若干の高さが残る、往時の梅若塚を見ることができます。
 鳥居博士は、同じ隅田川流域に存在した「業平塚」や「牛の御前の隣にある古墳」、「秋葉の社の内の古墳」は古墳であると考えており、同じ「古墳群」に存在するこの梅若塚も同様に古墳であると推測したようです。さらには、『江戸名所記』に描かれた挿絵を取り挙げており、17世紀の梅若塚が後世のものよりも遥かに大きかったことも指摘しています。


「梅若塚」

 画像は、『上代の東京と其周囲』に掲載されている、『江戸名所記』の挿絵です。塚上に祀られている祠の周囲に囲いが存在するあたりからして、かなり大きな塚であったようすを伺うことができます。
 江戸期の文献を紐解くと、梅若塚に関するかなり多くの記述を見ることができるようですが、塚の存在を伝える最古の文献は、もと京・五山の学僧・萬里集九(周九)の詩集『梅花無盡藏』の中の文章であるようです。萬里集九は誌名が高く、文明17年(1485)には、親交のあった太田道灌に招かれて江戸城に入り、翌18年(1486)の春、道灌の催した舟遊びに加わり、詩作をしたようです。文中には「路傍の小塚に柳あり」とあり、「けだし吉田の子梅若丸の墓処なり、某母は北白河の人」と記されています。
 この文献により、梅若塚は少なくとも15世紀の末頃には間違いなく存在していたようですが、塚は発掘調査が行われることなく消滅しており、今となってはその性格を知ることはできません。
 果たして梅若塚は古墳だったのでしょうか。。。


「梅若塚」

 画像は、移転された現在の木母寺です。この境内に、移転した梅若塚が所在します。


「梅若塚」

 現在の「梅若塚」のようすです。鳥居の形をした石の柵の中に「梅若塚」があります。


「梅若塚」

 画像が現在の「梅若塚」です。
 この形状にどんな意味が込められているのかはわからないのですが、「塚」というよりは、かつて存在した梅若塚のモニュメント的な存在なのかもしれません。


「梅若塚」

 日本が敗色濃厚だった昭和20年(1945)、木母寺は2度にわたる戦災に遭っています。4月13日と翌々15日のどちらも夜半の空襲で、木母寺境内のほとんどが一刻の間に灰と化した中、唯一焼け残ったのがこの梅若堂(梅若塚拝殿)だったようです。特に15日の空襲は、当時の軍部が「人馬殺傷」と称していたという小型爆弾数十発の集中投下であり、そのうちの1発が、13日の空襲で焼け残った梅若堂の前面から左側面2~30mという至近距離に爆撃され、お堂に損傷を与えたようです。(ちなみに、お堂の損傷が米軍の機銃掃射による弾痕であるという説が伝えられているようですが、これは間違いで、真相はこの爆撃による損傷であるようです。)
 この日の木母寺境内には多くの被災した人たちが仮泊していたようですが、この中からは一人の事故者も出なかったことから、唯一焼け残ったお堂が「身代わりのお堂」と称され始めたのは、この頃であるといわれています。

 画像は、移転された現在の梅若堂です。かつての梅若塚に隣接して建てられていたお堂で、現在もやはり梅若塚に隣接しています。この地域が防災拠点で木造建築物が不許可であることから、苦肉の策として、強化ガラス張りの建物の中にお堂が安置されています。


「梅若塚」

 さて、梅若丸の墓であるとされる「梅若塚」と呼ばれる塚は実はもう一箇所、埼玉県春日部市にも存在します。
 画像は、春日部市新方袋にある満蔵寺を南西からみたところです。このお寺の敷地内に梅若塚は所在します。


「梅若塚」

 画像が、満蔵寺の「梅若塚」です。
 綺麗に整地されていて塚らしき風情は失われているようですが、周囲よりは一段高くなっているようすを伺うことができます。
 塚上に設置された埼玉県春日部市による説明板には次のように書かれています。

 梅若伝説と梅若塚
所在地 春日部市新方袋二六六

 今からおよそ千年前、京都の北白川に住んでいた吉田少将帷房卿の一
子梅若丸は七歳の時父に死別し、比叡山の稚児となった。十二歳の時、
宗門争いの中で身の危険を思い下山したが、その時に人買いの信夫(現
在の福島県の一地域)の藤太にだまされて東国へ下った。やがて、この
地まできた時、重病になり、藤太の足手まといとなったため隅田川に投
げ込まれてしまった。幸いに柳の枝に衣がからみ、里人に助けられて手
厚い介護を受けたが、我身の素性を語り

   尋ね来て 問わば答えよ 都鳥
       隅田川原の 露と消えぬと

 という歌を遺して生き絶えてしまった。時に天延二年(九七四)三月十五
日であった。里人は、梅若丸の身の哀れを思い、ここに塚を築き柳を植
えた。これが隅田山梅若山王権現と呼ばれる梅若塚である。
 一方、我が子の行方を尋ねてこの地にたどり着いた梅若丸の母「花子
の前」は、たまたま梅若丸の一周忌の法要に会い、我が子の死を知り、
出家してしまった。名を妙亀と改め、庵をかまえて梅若丸の霊をなぐさ
めていたが、ついに世をはかなんで近くの浅芽が原の池(鏡が池)に身投
げしてしまったという。これが、有名な謡曲「隅田川」から発展した梅若
伝説であるが、この梅若丸の悲しい生涯と、妙亀尼の哀れな運命を知っ
た満蔵寺開山の祐閑和尚は、木像を彫ってその胎内に梅若丸の携えてい
た母の形見の守り本尊を納め、お堂を建てて安置したという。
 これが、安産、疱瘡の守護として多くの信仰を集めてきた子育て地蔵
尊(満蔵寺内)である。

 昭和六十一年三月                    埼玉県春日部市


「梅若塚」

 塚上のようすです。
 梅若塚の春日部説は、十万庵敬順の『遊歴雑記』や斎藤鶴磯の『武蔵野話』等により紹介され、知られるようになったようです。その後に刊行された『新編武蔵風土記稿』では、春日部本家説は否定されているようです。


「梅若塚」

 祠の背後に存在する謎のマウンド。新しく盛られたようにも思える塚状地形いですが、これもある意味、モニュメント的な塚なのでしょうか。塚の上に塚があるようで、なんだか変な感じがします。笑。


「梅若塚」

 塚上に建てられている「梅若塚の由来」と刻まれた石碑。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-198.html(2014年2月12日号「妙亀塚」)

 次回、梅若伝説 その3「班女塚」に続く。。。

<参考文献>
鳥居龍蔵『上代の東京と其周圍』
豊島寛彰『隅田川とその両岸』
すみだ郷土文化資料館『隅田川の伝説と歴史』
真泉光隆『梅若塚物語』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明版


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