
さて、今回は超久しぶりに、訪れた塚をタイムリーに紹介したいと思います。
画像は、豊島区高松2丁目に所在する「豊島長崎の富士塚」を南から見たところです。
この豊島長崎の富士塚は、元々存在した古墳を改変して築造された富士塚であるといわれています。周辺地域では、江古田富士塚(練馬区小竹町)や落合の富士塚(新宿区上落合、現存せず)なども、元は古墳だったといわれています。
通常は富士塚の境域は閉ざされており、この豊島長崎の富士塚は、お山開きの期間中にのみ富士塚登拝をすることができます。今年は、6月30日の土曜日の午後1時~3時と翌7月1日の日曜日の午前10時~午後3時にお山開きが行われました。私も最初に訪れた時は金網の外からの見学となりましたが、今年は30日の土曜日に参拝することができました。

以前訪れた際には、昭和55年の説明板が設置されていたのですが、現在は平成28年の新しい説明板が設置されています。この説明板には次のように書かれています。
国指定重要有形民俗文化財
豊島長崎の富士塚
富士塚は、富士山を神の宿る場所として信仰する人々の集まりである富士講によって、江戸時代後期以降、主として富士登山が困難な人々のために、江戸とその周辺地域に築かれた。富士講は、角行を開祖とし、江戸時代中期に身禄によって広められ、最盛期には江戸八百八講と称されるほどの講が結成されて、代表的な庶民信仰の一つとなった。
豊島長崎の富士塚は、富士講の一つである豊島郡長崎村の月三椎名町元講の人々によって築造された。塚内には文久2年(1862)の銘記がある碑などが10基あり、これらが最も古く、「当山再建」と刻まれた碑も含まれていることから、この年に築造されたと考えられる。
塚は、高さ約8m、直径約21mで、表面は富士山の黒ボク石(溶岩)でおおわれている。塚内には、頂上に大日如来坐像、山腹に小御岳石尊大権現碑、烏帽子岩奉献碑、合目石、講碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約50の石造物群で構成されている。また、塚の東にある浅間神社では、かつてお炊き上げが行われており、奉納された数多くの講碑から長崎村の人々の富士信仰の強さと、近隣地域の人々との交流をうかがい知ることができる。
都区内にある江戸時代築造の富士塚の中では、原形を最もよく保ち庶民信仰の様相を示すものとして重要であるという評価から、昭和54年5月21日に重要民俗文化財に指定された。
平成28年豊島区教育委員会
早速、富士塚に登ってみようと思います。
富士塚の登山道には、実際の富士山に見立てて「×合目」と刻まれた石碑が建てられているのですが、一合目の石碑は存在せず、この鳥居が一合目に当たるのだそうです。

この豊島長崎の富士塚は、間口が広くて奥行きの狭い、正面から見るだけの富士山として築かれていて、そのため正面の形は左右に末広がりに尾根を延ばし、頂上近くの勾配を急にして頂上を平坦にするという、絵になった富士山をそのまま形にしたという感じで造られています。
登山道は、正面に電光型に造られています。いろは坂みたいにジグザグに登っていくイメージですね。

一合目にあたる鳥居に続いて、「二合目」の石碑です。
登山道を登るに従って三合目、四合目と石碑が続きます。

麓から山頂を見上げてみたところです。
山の中腹から山麓にかけては土を盛ったままで、正面にはツツジやツゲが数多く植えられています。
今年は梅雨明けが非常に早かったので、この日はかなり気温が上がって暑い1日でしたが、よく晴れて綺麗な富士塚の写真が撮れました。笑。

五合目の石碑です。さらに登ります。

塚の中腹から山頂を見上げてみたところ。多くの参拝客が訪れていました。

九合目の石碑です。

山頂部が見えてきました。頂上近くはボク石で固められ、頂上には石祠が安置されています。
石祠の中には、昭和11年(1936)に十一代千達本橋源蔵が納めた大日如来の石像が安置されています。
(一応、「ブログに掲載していいですか?」と声を掛けて掲載しましたが、問題があれば削除いたしますので、削除依頼をいただければと思います。)

山頂から麓を見下ろしてみたところです。
富士講の多くが衰えてしまった昭和40年代以降、富士塚の管理を神社が行わなくてはならなくなったことにより、多くの富士塚が金網で囲まれて施錠されてしまったようですが、これは、富士塚が子どもの遊び場となり、塚から落ちて負傷してしまうことを防ぐためでもあるようです。
確かにこの急勾配を見ると、転がり落ちて怪我をすることも十分に考えられますが、むしろ私のようなおっさんの方が危ないのではないかとも思ってしまいます。笑。
古墳巡りを始めた最初の頃は、古墳なのにどうして富士塚に改造してしまうんだよ、と思っていたんですけどね。最近はすっかり富士塚の魅力に魅せられてしまっています。幾度もの幕府の弾圧にも耐えて平成の時代まで残されてきた富士塚ですので、今後も良い形で残されていくと良いなと思っています。
【このブログの過去の関連記事】
「豊島長崎の富士塚」ー国指定 重要有形民俗文化財ー(2014年1月18日)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
<参考文献>
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ー東京・神奈川ー』
豊島区立郷土資料館『生活と文化 研究紀要 第1号』
現地説明版
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- 2018/07/06(金) 23:41:07|
- 豊島区の古墳・塚
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ご~ご~ひでりん様
いつも楽しくブログを拝見しております。
長崎富士は、以前訪問したことがありますが、
登拝したことはありません。
今年の7月1日は葛飾区の飯塚富士に行っておりました。
いずれ、国指定文化財である長崎富士にも登ってみたいと思います。でも、おっさんには危ないでしょうか。
路傍学会長拝
- 2018/07/07(土) 20:45:11 |
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- 路傍学会長 #-
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路傍学会長様
コメントありがとうございます。
私、かなり運動不足でして、実際少しよろけながら登っていました。なんとかしなきゃいかんと思っているのですが。。。
飯塚富士は、来年以降の楽しみにとっておきます。
路傍学会長様の更新を楽しみにしております。
- 2018/07/10(火) 11:08:19 |
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- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
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