
「平尾馬場横穴墓群」は、稲城市平尾で発見された横穴墓です。この横穴墓群は、平尾住宅北側の台地縁辺部の斜面に、3基の横穴墓が3~4mの間隔で並列して存在しており、昭和34年にはすでに開口していた中央の1基が、そして、昭和42年から43年にかけて両脇の2基の横穴墓の調査が行われています。『東京都遺跡地図』には、稲城市の遺跡番号80番の横穴墓として登録されています。
この地域では、方形周溝墓を伴う(多摩丘陵北部では珍しい)弥生時代末期の集落から、高塚古墳の築造を見ることなくこの横穴墓の出現となるようです。多摩丘陵内の小河川上流域では大規模な横穴墓群を出現させる要因には乏しく、丘陵内の微地形に生活の基盤を置いた10数戸前後の農村的小集落が特徴的に分布していることから、この平尾馬場横穴墓群も、これらの小集落の「長」的な存在者のものではないかと考えられているようです。
この3基の横穴墓は構造が少し異なっており、この相違は築造の時期の差によるものか、階層差によるものかは明確ではないようですが、2号横穴墓からは金環が出土しており、この金環の築造は7世紀末と推定されているようです。
ちなみにこの3基の付近の探査も行われたようですが、新たな横穴が発見されることはなかったようです。
画像が、「平尾馬場横穴墓群」の跡地周辺の現在のようすです。
場所としては、保存して公開するようなことも不可能ではなかったのではないか?とも思われるのですが、残念ながら古墳の痕跡はなく、説明板等の設置も見られないようです。。。
<参考文献>
稲城町誌編纂委員会『稲城町誌』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2018/07/15(日) 22:47:08|
- 稲城市の古墳・塚
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