
画像は、「旗巻塚」が所在したとされる、現在の多摩市一ノ宮3丁目周辺のようすです。
この塚は残念ながらすでに開発により消滅しており、『東京都遺跡地図』にも未登録となっているようですが、戦後までは田んぼの中に残されており、塚の周囲は「旗巻」という地名で呼ばれるなど、かなり知られた存在であったようです。
やはりこの塚も、「関戸合戦」において布陣していた北条泰家率いる鎌倉幕府軍が旗を巻いて後方に退却したところという伝承が残されています。
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=219133&isDetail=true) 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年11月14日に米軍により撮影された、旗巻塚の所在地周辺の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。画像の中央に、農地にぽっかりと浮かぶ旗巻塚らしき影を見ることが出来ます。
この塚は、かなりピンポイントに所在地を特定してから訪れました。現在の多摩信用金庫桜ヶ丘支店の裏側あたりで、駅近の住宅街ですので塚が残されるにはなかなか厳しい状況ですが、思えばこの日は疲れ果てていて、また塚らしきマウンドも見られなかったことから「ピンポン」せずに帰ってきてしまいました。が、後から思い返すとひょっとしたら何か痕跡が残されていたかもしれないと悔いが残る塚です。機会があったらもう一度見に行ってみようと思っています。。。
<参考文献>
パルテノン多摩『関戸合戦 多摩市関戸に残る中世の伝承とその背景』
人気ブログランキングへ
- 2018/08/27(月) 02:30:24|
- 多摩市/その他の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0