
さて、ここまで塚原古墳群を形成する10基の古墳を紹介してきました。
かつては40~50基以上の古墳が存在したといわれている塚原古墳群ですが、記録が残されている昭和26年時点での分布図をみると、発掘調査により確認された古墳以外にも何基かの古墳が知られていたようです。画像は、現在の多摩市立多摩第二小学校ですが、この敷地内にも古墳が1基、存在したようです。
この場所は、平成25年に行われた校舎建替替工事に伴う発掘調査が行われており、調査区南側から溝状の不整形を呈する性格不明遺構2基が検出されています。この溝からは金銅製耳管が1点出土しており、古墳の周溝など施設の一部であった可能性が推測されています。
これまで行われた発掘調査では、塚原古墳群を形成する11基の古墳は全て野猿街道の南側に集中していたようですが、北側も含めて広く分布していたのかもしれません。。。

野猿街道側から見ると、小学校の一角にもしや古墳では?と思える築山が見えてドキッとするのですが、これは古墳とは関係ないかもしれません。笑。記録が残されている昭和26年時点での分布図を参考にすると、この築山のちょうど正面の道路上あたりに1基存在したようですが、これは野猿街道の拡張工事が行われるはるか以前、街道が敷設されたころにすでに破壊されてしまったのかもしれません。

塚原古墳群の野猿街道を挟んだ北側は街道の整備により切り通しとなり、まるで舌状台地かのように南西側に突き出たような形状となっていますが、この先端あたりにも古墳が1基、存在したようです。すでに宅地化が進んでいるようですが、何か痕跡は残されていないのでしょうか。。。

この台地上のフェンスで覆われた一角が気になって覗いて見ましたが、やはり古墳の痕迹は全くなし。野猿街道北側の古墳は、昭和26年当時にすでに全壊していたようですので、痕跡を見つけるのは難しいかもしれません。。。
このほか、現在の1号墳と6号墳の間にも、昭和26年当時に半壊の状態の古墳が2、3基残存していたようですが、これも痕跡は全く残されていないようです。
<参考文献>
多摩市計画道路事業1・3・1号線関連遺跡調査会『和田・百草遺跡群』
人気ブログランキングへ
- 2018/10/08(月) 21:39:46|
- 多摩市/和田古墳群
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0