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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「六部塚」

「六部塚」

 「六部塚」は、多摩市唐木田3丁目の丘陵上に所在したといわれる塚です。画像は、塚の所在地周辺を南から見たところです。

 六部塚は、東京都教育委員会より発刊された『東京都遺跡地図』には未登録で、インターネットで公開されている、最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』にも掲載されていないようです。ただし、多くの伝承が現代まで伝えられており、塚の跡地周辺に設置された説明板のほか、この地域の郷土誌類にも記述を見ることができます。かなり知られた塚であるようです。
 というわけで、早速、六部塚へ向かって歩いてみます。『巡礼古道の代官坂と奥州古道の辻』の説明板から100メートルほど西に歩き、多摩よこやまの道と呼ばれる古道を北西に登った、道の途中のあたりが六部塚の跡地です。


「六部塚」

 画像が、六部塚の跡地といわれるあたりです。この道の先に案内板が設置されており、この解説には「案内板から南へ80m下った所で見つかり、小山田の田中谷戸集会場では石塔が発見され、民話が本当だったことがわかりました。」と書かれています。だいたいこのあたりが80m下かなと思われる場所がこの画像ですが、正確な所在地は不明です。
 実はこの道は町田市と多摩市の境界となっており、画像の右側が多摩市唐木田町、左側が町田市上小山田町です。『東京都遺跡地図』で確認しても、近隣にある「山王塚」や「勝負塚」がちゃんと登録されているのに対して、この六部塚はなぜか未登録となっており、正確な所在地がわかりません。(『東京都遺跡地図』に登録されていれば、おおよその住所が書かれているので、どちら側かくらいはわかるのですが)
 先の案内板には「二つの塚を築いた村人は農作業の合間に通っては手を合わせていた」と、塚が2基あったことが書かれています。空中写真をよーく眺めてみたのですが、画像のあたりが所在地であるとすれば多摩市側にあったようにも思えるし、この丘の最も高い、案内板のあたりにあったようにも思えるし。ひょっとして両側にあったのかな。笑。


「六部塚」

 よこやまの道を登り切った、道が左に折れた角に「奥州古道と六部塚~民話の塚と石塔」という案内板が立てられており、六部塚の伝承についてもふれられています。塚は、立地的にその一帯の一番高いところに造りそうな気もするのですが、この場所じゃないのですね。。。


「六部塚」
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)

 さて、画像は、昭和31年(1956)4月6日に米軍により撮影された、六部塚周辺の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。画像の中央に、2基の塚らしき影が写されています。これが六部塚であればやはり画像が塚の所在地で、道の右側(多摩市側)に所在したということになるわけですが、真相やいかに、という感じです。。。


「六部塚」

 この日はこの後に山王塚を見学。その後、多摩よこやまの道を戻り、代官坂と呼ばれる古道を下って、移設された六部塚の石碑を見学するために小山田方面に向かう計画だったのですが、山王塚に向かう途中で視界に入った、ほとんどけもの道のごとき山道がなぜか気になって仕方がありません。
 立て札にも「小山田バス停→」と書いてあるし、こりゃ行けるんじゃないか!ということで、一人ザクザク、山道に突入してみました。
 以下、意味なく山道のようす。。。


「六部塚」

 人ひとり分ほどが踏み固められた細い道が、山の麓に向かって延々と続きます。
 時折、藪の中で、ガサガサっと何か生き物が動く音が聞こえてびっくりしますが、姿は見えず。
 狸とかイノシシなんかが出てきたらどうしよう。。。


「六部塚」

 私は少年時代は横浜で暮らしたんですけどね。
 あの頃はまだ、こんな感じの山道が結構残っていて、カブト虫とかクワガタを探して歩いたもんですが。
 ちょっと懐かしいな。


「六部塚」

 自然のままの小川に木製の小さな橋が架けられています。
 なんかイイ感じ。


「六部塚」

 まだまだ、ユルユルと下ります。
 それにしても、誰ともすれ違わないんですよね、この道は。
 いや、でも追い剥ぎとか出てきたら怖いしな。(そんなの出ないって。笑)


「六部塚」

 Googleマップをみてもこの道は載っていないようです。
 合っていると信じてこのまま進みます。


「六部塚」

 またしても小川に小さな木製の橋が。
 踏み抜かないように、跨いで進みます。


「六部塚」


 ようやく視界が開けてきました。
 それにしても、人家はおろか、電線や鉄塔といった人工物が全く見えません。
 きっと、江戸時代とほとんど変わらない光景ですよね。
 携帯の電波は果たして届いていたのか、見ておけば良かったな。。。


「六部塚」

 この辺りからようやく舗装された道路になりました。
 歩き慣れたアスファルト。笑。


「六部塚」

 お地蔵様が祀られた塚、発見。
 もはや、ここが東京であることを忘れてしまうぜ、と。


「六部塚」

 町田市内の丘陵上を歩いていて、こういう正体不明の穴を何度か見かけました。この場所はトタンで蓋がしてあって中を見ることはできないようだったのですが、まさか横穴墓の残骸ということはないですよね。。。


「六部塚」

 農地の片隅に正体不明のマウンドが。気になる。。。


「六部塚」

 ようやく到着。町田市上小山田町の田中谷戸倶楽部です。
 この敷地内に、六部塚から移された石碑が保存されています。


「六部塚」

 画像が「六部塚」の石碑で、町田市教育委員会により説明板が設置されています。
 説明板には、次のように書かれています。

町田の民話と伝承
比丘尼の墓・「六部塚」
 小山田川(鶴見川)の源流に近い谷戸の農家の庭に、旅の比丘尼が入ってきました。「お乳をめぐんでいただけませんか」農家の若妻はびっくりしました。尼さんの姿で、赤ちゃんをおんぶしていたからです。
 若妻は、土器にお乳を満たしてあげました。
 その夜、若妻の夢枕にあらわれたのが、昼間の比丘尼です。夜明けを待って、立ち去った道をたどっていくと、比丘尼は土手の上にゆきだおれていました。胸にしっかりと抱き締められていたのは、赤ちゃんではなくて、阿弥陀如来の像です。比丘尼は手厚く葬られ、小さな墓がつくられました。
 それから二年が過ぎた、ある日、行脚姿の老僧が若妻の家を訪ね、しばらく逗留して比丘尼を供養したいと言いました。若妻が心よく応じると、老僧は土を運んで立派な土墳をつくります。そして、まわりに美しい草花を植えると、ふたたび旅立っていきました。そのあと若妻の家は、ことのほか繁栄をつづけます。若妻も老いて亡くなり、長い歳月が流れました。
 丹沢の山々が雪におおわれた、ある日、比丘尼の墓の前にたたずむ六部の姿がありました。「わたしは信州伊那郡・阿武隅村の片桐勘四郎と申すもの。ここに眠る比丘尼は西順尼と申し、先祖の一人に間違ございません。このとおり六部の姿に身をやつし、諸国をたずね歩いてまいりましたが、ようやく念願がかないました」六部の物語を聞いた村人たちは、人の世のめぐり合わせの不思議さに心をうたれ、立ち去る六部に、たいせつに安置してきた
阿弥陀如来の像を手渡しました。
 ところが、その夜、村人たちの夢枕に立ったのは、旅立ったはずの六部です。翌朝、比丘尼の墓に駆けつけますと、息絶えた六部の姿があり、阿弥陀如来の像が、両手でしっかりと握られていました。めぐる因縁の深さにおどろいた村人たちが、六部のなきがらも手厚く葬りましたので、比丘尼の土墳はより大きな塚になり、「六部塚」と名付けられました。
(町田の民話と伝承第一集・町田市文化財保護審議会編から)
一九九九年三月  町田市教育委員会



「六部塚」

 この石碑の碑面には

 寛保二年
 六十六部訳西順比丘尼
     五月十四日


 側面には

 嘉永三年十二月再建
  信州伊那郡阿武隅村
      俗名片桐勘四郎


 と刻まれているそうです。

<参考文献> 
町田市教育委員会『町田の民話と伝承第一集』
現地説明板


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  1. 2018/10/31(水) 23:20:11|
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