
「下麻生古墳群」は、小田急線柿生駅の南東方約1.3kmほどの、北西から南東方向に流れる谷本川左岸(鶴見川の上流)の丘陵上に築造された古墳群です。
昭和61年に行われた現状確認調査では3基の古墳で形成される古墳群であるとされ、東西に並ぶ3基のマウンドは、東から西へ1、2、3号墳と呼称されていました。しかしその後、平成4年8月から12月にかけて行われた民間の宅地造成事業に伴う事前調査により、中央の2号墳は自然地形であることが判明、西側の旧3号墳が2号墳と名称が変更されています。

発掘当時、高さは約2.8m、平面形が、東西約18m、南北約13mの楕円形を呈していたという1号墳の墳丘は、現在は宅地化により消滅しています。画像の道路の左側あたりが古墳の跡地となるようです。
南西方に向かって開口する、泥岩の切り石を使った両袖型の横穴式石室が確認されており、玄室内からは大刀や鉄雛、盗掘坑から耳環、入口部の手前から土師器坏などが出土しており、この入口付近から出土した土師器坏形土器の特徴や出土状態などから、古墳は7世紀前半代の築造と推定されています。

2号墳の跡地周辺の様子です。画像の道路の右側あたりが2号墳の所在地となるようですが、やはり宅地化により古墳は消滅しています。
1号墳同様に山寄せ式によって築造されていたという2号墳の墳丘は、周溝が確認されなかったことから築造当時の規模は不明とされているようですが、調査当時は東西10m前後、南北7~8mの楕円形を呈しており、高さは1.5~2.0m程の規模だったようです。
南西方向に向かって開口する泥岩の切り石による両袖型の横穴式石室が確認されており、玄室の中央部床面付近から鉄片が1点のみ出土したものの、細片であるためその種類等については不明で、築造年代も推定するには至っていないようです。

1号墳と2号墳のちょうど跡地のちょうど中間あたりにある、「下麻生なかよし公園」にてひと休み。自然地形であることが判明した旧2号墳はこのあたりかもしれません。

下麻生古墳群の東側に「籠口ノ池公園」という公園があるのですが、ちょっと地形が気になって立ち寄ってみました。
半島状に突き出た舌状台地を利用した公園なのですが、この先端あたりに怪しげなマウンドが存在します。
何かの塚なのか、公園を造成した際に残された自然地形なのかもかもしれませんが、とっても気になる形状です。。。
早野横穴墓を見学するためにこの地域を訪れましたが、天気がよかったことと、現在所有のカメラで写真を撮り直したかったこともあって、結局全ての古墳をひと回り。何年か前に王禅寺古墳群を散策した時は、隠滅しているというこの古墳群は巡らなかったのですが、今回は跡地も含めてひと通り散策してみました。川崎市内は丘陵地帯が多く、急な坂道を上がったり下がったりしなければならないので、もう大変です。(でもちっとも痩せない)。。。
<参考文献>
佐藤善一・伊藤秀吉「川崎市内の高塚古墳についてー現状確認調査を踏えて」『川崎市文化財調査集録 第24集』
神奈川県考古学会『第18回 神奈川県遺跡調査・研究発表会 発表要旨』
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- 2018/12/07(金) 00:46:42|
- 川崎市の古墳・塚
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