
「王禅寺牛塚」は、川崎市立東柿生小学校の東方約200mほどの、川崎市麻生区王禅寺東6丁目に所在する古墳です。
古くは江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』に「牛塚南の方にあり、2間四方」とあり、かつてはかなり大きな古墳だったのではないかと考えられますが、現在は径2.2m、高さ約1mほどの僅かなマウンドが、民家の敷地内に残るのみです。
平成27年には、塚の道路を挟んで西側の敷地で発掘調査が行われており、古墳の周溝と考えられる溝状遺構が検出されています。また、覆土内からは土師器や須恵器の破片が約20点出土しており、この牛塚が古墳であることは間違いないようですが、現在残されているマウンドに関しては近代の築山であることがわかっているそうなので、残存する墳丘、というわけではないようです。
ちなみに私の地元である栃木県には、宇都宮市や壬生町に「牛塚」という名称の古墳が存在するのですが、どちらも墳形は前方後円墳で、「牛塚」の名称の由来に関して、横からみると牛が体を横にして寝ている姿に似ているからであるという説があるようです。この王禅寺東の「牛塚」が前方後円墳だったかどうかは知る由もありませんが、とても興味深い名称だと思います。
柿生郷土史料館より発行された『柿生文化』によると、牛は農事と深い関係があることから、この牛塚は「牛神」を祀るために造られた塚であったか、元々古墳として造られた塚を牛神の祭祀用に再利用したものではないかと推測しているようです。
<参考文献>
伊東秀吉「川崎市の古墳(二)」『川崎市文化財集録』
柿生郷土史料館『柿生文化 第57号』
柿生郷土史料館『柿生文化 第58号』
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課『平成27年度 川崎市埋蔵文化財年報』
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- 2018/12/10(月) 23:46:47|
- 川崎市の古墳・塚
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