
川崎市麻生区王禅寺東6丁目の、「王禅寺牛塚」南東約150mほどの住宅地内に所在するのが「王禅寺狐塚」です。
現在の狐塚は公道と住宅に周囲を削平されてブロックで固められ、高さは約1m、5.5m×3mの長方形の塚上に稲荷の小祠が祀られています。ネットで公開されている『川崎市地図情報システム』には古墳として記載されており、谷本川の沖積地に築造された古墳時代末期の円墳ではないかと考えられているようです。

前回紹介した「牛塚」とは対照的に、この狐塚の名称は全国的に広く分布しています。これまで東京都内の古墳や塚を中心に取り上げてきましたが、都内だけでもかなり多くの「狐塚」が存在します。
最も著名なのは、調布市布田6丁目所在の「下布田6号墳(狐塚古墳)」でしょうか。この調布の狐塚は、古代に築造された古墳であることが発掘調査により判明していますが、周辺地域には数多くの狐に関わる言い伝えが残されており、これが「狐塚」の名称の由来となっているようです。
この王禅寺東の狐塚も元々は田の神の祭場であり、塚の上に田の神を祀っていたことから「狐塚」と呼ばれるようになりました。狐は稲の収穫期から冬にかけて人里に下りて子狐を育てたことから、田の神・稲作の神の使いとして信仰するようになり、稲荷(「いなり」は“稲成り”の意味なんだそうです)の神様として日本全国にかけて信仰の対象になりました。つまりは狐の遺体を埋葬した塚ではなく、神様を祀る対象として存在したと考えられているようです。

わずかに残された墳丘上に祀られている、稲荷の祠です。
この場所にたどり着いたときに、塚のお向かいのお宅の奥様に「狐塚はこれですか?」と訪ねてみたのですが、まったくご存知ないようでした。(これには驚きましたが、新しい住宅街は案外こんなもので、古くからこの地に暮らす一部の人にしか伝承は伝えられていないのかもしれません)その後訪れた、亀井古墳群のある月讀神社でも、地元の方々はおろか神社の宮司さんですら、境内に3基の古墳が残されている事実を把握していませんでした。
川崎市内の古墳や史跡、神社等を散策していて感じたのですが、まだ説明板が設置されていない場所も少なくないようです。史跡や文化財の存在をまず地元の人に知ってもらうことはとても大切だと思いますし、説明板による解説が充実されると良いなあと思います。。。
<参考文献>
伊藤秀吉「川崎市の古墳(二)」『川崎市文化財調査集録 第4集』
佐藤善一・伊藤秀吉「川崎市内の高塚古墳についてー現状確認調査を踏えて」『川崎市文化財調査集録 第24集』
柿生郷土史料館『柿生文化 第56号』
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- 2018/12/14(金) 00:13:53|
- 川崎市の古墳・塚
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