
「久地伊屋ノ免古墳」は、川崎市高津区久地4丁目に所在した古墳です。
『川崎の遺跡』によると、高津区の№24遺跡として登録されている古墳で、現在はマンション建設によりすでに消滅しているようですが、この工事に先立って発掘調査が行われているようです。
昭和58年()10月2日、調査団のキャップであった持田春吉氏は、発掘調査に先駆けてきれいに伐採された雑木林の中にこんもりとした盛り上がりを見付けました。当時の遺跡地図には子にお場所に古墳が存在するとは記載されていなかったようですが、持田氏は長年の経験からこれが古墳であると直感したそうです。そこで、調査団はマウンドの西側にトレンチを掘り、これが古墳かどうか確認してみることにしました。その結果、溝が検出されたことから、やはり古墳であろうということになったそうです。一歩間違えば調査も行われずに破壊される寸前だった久地伊屋ノ免古墳は、陽の目を浴びることとなったようです。(検出された溝は、最終的には古墳に関わるものではないとされたようですが。)
古墳の規模は南北17m・東西径16m、高さは約2mで、小形の円墳です。埴輪や周溝といった外装施設は発見されていないようですが、第一主体部の割竹形木棺はながさ7.8mと長大で、これは野毛大塚古墳の8.2mと比べても見劣りしないものだそうです。木棺内部からは小玉、棗玉・勾玉・管玉、鉄鏃片などが出土しており、古墳は4世紀末から5世紀初頭の築造と推定されています。また、もう1基の主体部である第2主体部は組み合わせ式の木棺が検出され、こちらはサイズも小形で、異物も検出されていないようです。
興味深いのは、木棺外から検出された縦横に鍔状突帯がついた壺形土器は、東海地方以西の土器に通じるものなのだそうで、日吉や加瀬などの大豪族とは異なるルートで、西方の権力と連合していた可能性も推測されているそうです。。。
<参考文献>
持田春吉『古代の南武蔵―多摩川流域の考古学』
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- 2019/01/14(月) 23:16:33|
- 川崎市の古墳・塚
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