
「下作延稲荷塚古墳」は、川崎市高津区下作延に所在する古墳です。
墳丘上に「赤松稲荷大明神」という稲荷社が建立されていることから「稲荷塚」と呼ばれている古墳で、JR南武線久地駅の南東450mほどの、多摩丘陵の先端に東に延びる、舌状台地のつけ根のあたりに築造されています。
画像は、この下作延稲荷塚古墳を西からみたところです。

画像は、南からみた稲荷塚古墳、というよりは南から見た赤松稲荷大明神といったところでしょうか。
鳥居の左奥に見えるマウンドが稲荷塚古墳です。
周辺は、緑ヶ丘霊園という川崎市営の都市公園として整備されており、古墳はこの霊園の一角に残されています。昭和20年代に霊園の造成工事が行われた際に、馬形埴輪が出土しており、この塚が古墳であることは間違いないようです。

南西から見た、下作延稲荷塚古墳の墳丘のようすです。
平成2年12月にはこの古墳の実測調査が行われており、規模は東西約20.5m、南北約20.5m、高さは約3.8mの、円墳であるとされています。ただし、墳丘の北から西、南にかけては、隣接する墓地建設のための造成工事の際に、余分な土を寄せて造った後世の人為的な形状であり、元々はひとまわり小さい方形に近い形状であったといわれています。このため、方墳であった可能性も考えられているようです。

墳丘上には稲荷社の祠が祀られており、「赤松稲荷大明神」と刻まれた石碑が建てられています。

下作延稲荷塚古墳の墳丘上のようすです。若干、平坦に削平されているようですが、古墳は比較的良好に残されているようです。

画像は、川崎市市民ミュージアムで公開されている、稲荷塚出土とされる埴輪です。顔や足の部分は失われており、残存していたのは胴部左側面だったようです。ほかに、円筒埴輪や須恵器、土師器が出土しています。
古墳は、出土した埴輪より、6世紀後半の築造と推定されているようです。
<参考文献>
伊東秀吉「川崎市の古墳(二)」『川崎市文化財調査集録 第4集』
浜田普介「川崎の埴輪」『川崎市市民ミュージアム紀要 第4集』
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- 2019/01/18(金) 02:17:52|
- 川崎市の古墳・塚
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