
「モッコ塚」は、川崎市高津区下作延7丁目に所在したとされる塚で、『川崎の遺跡』にも登録されていない、消滅してしまった塚です。第二次大戦の末期である昭和19年(1944)頃に軍の陣地構築の際に削平されてしまったといわれており、出土品の伝承等も残されていないことから塚の性格は不明ですが、かつては高塚古墳ではないかと考えられていたようです。
画像は、モッコ塚の跡地であるとされる周辺を南東から見たところです。通称「246」と呼ばれる厚木街道により、切り通しとなった津田山丘陵の一番高くなったあたりにモッコ塚は存在したようです。

塚の所在地と考えられる、津田山丘陵頂部に登ってみました。
台地の一番高くなったあたりは現在は駐車場となっており、またこの北側一帯は企業の研修センター建設のために台地ごと削られていて、古墳の痕跡のようなものは全くみられません。
やはりモッコ塚は消滅してしまっているようです。。。

川崎市から横浜市にかけては丘陵地隊で坂道ばっかりですから、台地の上でいい眺めだな〜と思う場所はたくさんあったのですけどね。いつもハアハア息が切れていて、全く余裕なしです。。。

モッコ塚の北西300mほどの、やはり津田山丘陵上に所在したと言われるのが「津田山碑際古墳」です。これも古墳ではないかとされていた塚ですが、モッコ塚と同様に、軍の陣地構築により昭和19年(1944)頃に削平されています。
すでに開発が進み、住宅地となったこの地に古墳の痕跡は見られません。。。

気がつくのが遅かったんですけどね。「津田山碑際古墳」というからには、古墳の周辺に「津田山碑」なる石碑が存在したのではないかと、この近辺を自転車で疾走中に初めて気がついたわけです。津田山丘陵を降りてしまってからもう一度坂道を上るのは嫌だし(笑)、探すなら今でしょ、ということで早速検索してみたところ、下作延7丁目にある「津田山公園」の敷地内に「津田山碑」と呼ばれる石碑が置かれているということがわかりまして、早速立ち寄ってみました。
というわけで、画像が津田山公園内に建てられている津田山碑です。
この地の開発を、当時の玉川電気鉄道の津田興二氏が手がけたことから「津田山」と呼ばれるようになり、この津田山碑が犬養穀揮毫の碑である、というところまではわかったのですが、果たしてこの石碑が実際に古墳の際にあったものなのか、またその正確な所在地や、移設の時期や経緯等は今のところ不明です。
のちに詳細が判明した際には、ひっそりと書き直そうと思います。。。
<参考文献>
高津図書館友の会『考古たちばな 第5・6合併号』
上作延緑ヶ丘霊園南横穴墓群発掘調査団『川崎市高津区上作延 緑ヶ丘霊園南横穴墓群発掘調査報告書』
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- 2019/01/23(水) 01:33:06|
- 川崎市の古墳・塚
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