
今回紹介するのは、町田市図師町に所在する「乗越八幡跡」と呼ばれる塚です。『東京都遺跡地図』によると、この一帯は「小野路ダイ遺跡」として登録されています。縄文時代早期から後期、古墳時代、奈良時代、平安時代の遺跡が存在する複合遺跡で、これまでに縄文土器、石器、土師器、須恵器、陶磁器などが出土しているようです。ちなみにこの乗越八幡跡の100mほど南には「こうせん塚」と呼ばれる塚も現存しているのですが、『東京都遺跡地図』には古墳や塚の登録は見られないようです。
実は私、7〜8年くらい前に何日かかけて町田市内の遺跡を散策した時期があるのですが、その際にはこの乗越八幡跡とこうせん塚を見落としてしまっていて、ようやく最近になって見学に訪れました。塚は、急な坂を上がった山中にあることがわかっていたので、今回は鶴川駅からバスを利用して野津田高校入口で下車。そこから自転車を組み立てて、山道を塚の場所に向かいました。

道すがら、こうした正体不明の横穴を意外とよく見かけてドキッとします。横穴墓の残骸というわけでもなさそうなのですが、なんのために掘られた穴なんだろう。。。

内部の様子。
少なくとも人工的に掘られた穴ではないかと思うのですが、謎です。。。

一本道をまっすぐ進むと、やがて切り通しとなっている場所に辿り着きます。この切り通しの南西側が、乗越八幡跡と呼ばれる塚の所在地です。

切り通しの、道が交差して辻になっている地点で振り返ってみたところ。
画像の右側の、舗装されていない山道を上がった左側に、塚が所在します。

この、辻の角地に、道祖神や庚申塔といった石造物が祀られています。

画像のマウンドが「乗越八幡跡」と呼ばれる塚で、西側から見たところです。
「乗越」の名称は、峠のように山道が尾根を越える地点につけられることが多く、「八幡」戦の神であることから、小野路城に関連する塚ではないかとも考えられているようですが、古文書類にはこの塚の記録は見られないようです。
墳丘上の地形や、北側の切り通し面に見られる土壌の様子から、古墳ではないかとも考えられているようです。

東から見た塚の様子です。
学術的な調査の記録は町田市内の図書館では見つからなかったので、おそらく発掘調査は行われていないのではないかと思われます。塚の性格はわかりませんでしたが、果たしてこの塚は古墳なのでしょうか。
この塚から、尾根沿いに1〜2分ほど歩いたところに、「こうせん塚」と呼ばれる、同じような規模の塚が所在します。
以下、次回の「こうせん塚」に続く。。。
<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明板
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- 2019/02/02(土) 02:31:18|
- 町田市の古墳・塚
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