
画像は、町田市図師町に所在する「こうせん塚」を南から見たところです。
前回紹介した「乗越八幡跡」と呼ばれる塚から南に200メートルほど、徒歩1分ほどの近距離にあり、同じ丘陵上の尾根沿いに連なるように存在します。どちらの塚にも東京都による木製の案内板が設置されており、乗越八幡跡には「墳丘上の地形や北側の切通し面に見られる土壌の様子から、あるいは古墳ではないかとの説もあります。」と古墳説を唱えているのに対して、こうせん塚の案内板には古墳に関する記述は見られないようです。
『東京都遺跡地図』には、どちらも塚(または古墳)としての登録はされていないようですが、果たしてこのこうせん塚が、古墳である可能性はないのでしょうか。

塚の前に設置されている案内板には次のように書かれています。
こうせん塚
スダジイ(椎ノ木)の大木の根元にある塚は「こうせん婆さん」と呼ばれており小さな石祠には「文政十年(一八二七年)十月、施主天野勘左衛門」と刻まれています。昔、麦こがし(こうせん)にむせて死んだ老婆をまつったもので、咳の病が治まるよう茶椀や竹筒に茶を入れて奉納し祈願するようになったそうです。小野路城の関門があって「通せん場」と呼ばれたのが「関の神」「咳の神」と変したという説や落城のおり、ここで交戦があり、死者を祀った墳墓が「交戦場」と称せられ、その後「こうせん婆」と変じたとする説もあります。 東京都
ちょっと角度を変えて、東から見たこうせん塚です。スダジイ(椎の木)の大木の根っこが塚の表面を覆っていて、かなりおどろおどろしい雰囲気です。訪れるなら明るい時間をお勧めしたい場所ですね、ここは。

塚上に祀られた祠の様子。
小野路町以外に、小山田町や金森にもこのこうせん婆さんの話が伝えられているそうです。
<参考文献>
多摩市『町田の民話と伝承 第一集』
現地説明板
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- 2019/02/04(月) 23:12:38|
- 町田市の古墳・塚
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