
「馬駈古墳」は、町田市図師町に所在したといわれる古墳です。『東京都遺跡地図』には、町田市の遺跡番号214番の遺跡として登録されている古墳です。
昭和36年(1961)に東京都教育委員会より発刊された『南多摩文化財総合調査報告』には、残存した当時の馬駈古墳について、
西方から延びる丘陵の突端部の頂部、府中~淵野辺間都道の西備に近く位置する径約10mの円墳である。かなり変形していて、諸施設とも不明であるが、1と同様、後期終末期の築造になるものであろう。
と書かれています。
その後、平成6年度に多摩地区所在古墳確認調査団による古墳の分布調査が行われており、翌平成7年(1995)に発刊された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』では、この馬駈古墳については、墳丘、主体部ともに「消滅」としており、
古墳として遺跡登録されているが、現在では現地調査、聞き取り調査、文献確認を行っても明確な地点はわからなくなっている。
と書かれています。
画像は、馬駈古墳の跡地周辺の現在の様子です。
『東京都遺跡地図』の分布図に記された位置と、残存当時の空中写真等を見比べて、だいたいこのあたりではないかと想定した場所です。手前の原っぱから、奥に見える民家にかけてのどこかに古墳が存在したと思われますが、残念ながら痕跡は何も見られません。

出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=230033&isDetail=true)
画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和31年(1956)4月13日に米軍により撮影された馬駈古墳跡地周辺の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。
画像の中央下に見える円形の塚が、前々回に取り上げた「かぶと塚」と思われ、中央上にぼんやりと見える高まりらしき影が「馬駈古墳」ではないかと思われます。少なくとも昭和30年代に入る頃までは、古墳は残されていたようですが、その後、平成に入るまでには消滅してしまったようです。

画像の周辺が古墳の跡地と思われます。
道路がS字にクランクしているあたりが、ひょっとしたら古墳の痕跡なのかもしれませんが、詳細は不明です。

私が最初にこの馬駈古墳の所在地を訪れたのは実は8〜9年ほど前なのですが、その頃は今よりもずっと民家が少なくて、畑というか空き地みたいな場所でした。当時、古墳はすでに消滅しているであろうと想定していたので、周囲をぶらりと一周したのみであまり深追いもせず、やはり古墳はなかったなと自分を納得させて、早々に次の場所に移動したのです。
そして後日、さらに古墳について書かれている文献を調べていたところ、古墳の所在地について『南多摩文化財総合調査報告』に、「西方から延びる丘陵の突端部の頂部」と書かれているのを発見しました。以前に古墳の跡地と想定して見学した場所は、決して「丘陵の頂部」ではなく、少々下った斜面だったという記憶があり、これがずっと気になっていました。
というわけで前置きが長くなりましたが、昨年再訪して「丘陵の頂部」らしき場所で撮影した、塚状の高まりです。
空中写真で見られる古墳らしき高まりとは少しズレた場所にあたるので、この高まりが古墳であるならば、複数の古墳が存在するということになるのかもしれませんが、真相は謎です。周辺に「かぶと塚」や「よろい塚」といった塚の伝承地があるあたりからしても、とても気になる場所です。
(草ぼうぼうで形状がわかりにくいのが残念な写真なのですが、真冬に行けばよかったなあと後悔。もう一回、冬のうちに行ってみようかな。。。)
<参考文献>
東京都教育委員会『南多摩文化財総合調査報告』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
人気ブログランキングへ
- 2019/02/12(火) 23:14:18|
- 町田市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1