
前回に続き、今回も津田山周辺の横穴墓の探訪記録、シリーズ2です。
画像は、川崎市高津区久地1丁目の淨元寺です。このお寺の背後にある谷には、三群からなる横穴墓の存在が知られています。第1群は谷奥のもので「津田山久地横穴墓群」、同東のものが第2群で「久地浄元寺裏横穴墓群」、第1群より谷口にあるものが第3群で「浄元寺裏横穴墓群」とされています。

「久地浄元寺裏横穴墓群」は、高津区No.10遺跡として登録されている横穴墓群です。
昭和48年8月から9月にかけて発掘調査が行われており、5基の横穴墓が確認されています。一号墓からは鉄鏃が、二号墓からは土師器坏が、三号墓からは鉄鏃・直刀片・直刀鍔が、四号墓からはガラス製小玉・鉄鏃が、そして五号墓からはガラス製小玉・鉄鏃・鉄釘・金銅製耳飾・土師器坏・土師器片・寛永通宝などは出土しています。
画像が、現在残された久地浄元寺裏横穴墓群の痕跡であると思われます。一号墓〜三号墓はかなり近接して存在したようなので、このうちの2基の残骸であると思われます。

この久地浄元寺裏横穴墓群からの出土品は、川崎市市民ミュージアムの企画展として2月17日まで開催されていた「発掘された日本列島2018」にて公開されていました。
右上が「須恵器」、右下が「土師器」、左上が「銅鋺」です。


「津田山久地横穴墓群」は、高津区No.128遺跡として登録されている横穴墓群です。斜面の山麓に4基、やや上部斜面に2基の計6基があり、昭和32年に上部斜面の4号墓と、山麓にある5号墓の調査が行われています。
この横穴墓は開口する形で残存するのではないかと期待して訪れたのですが、残念ながら見ることはできませんでした。現地の草むらの複数箇所がブルーシートで覆われており、この下がどうなっているかはわかりません。
ブルーシートを捲ってみたいという欲求にかられましたが、思いとどまり、無茶はやめました。笑。

「浄元寺裏横穴墓群」は、高津区No.11遺跡として登録されている横穴墓群です。
この場所も、横穴が開口すると期待しましたが、見ることができませんでした。所在地の周囲は冬でもすごい藪で、果たして古墳が残存するものかどうか判然としませんでした。
<参考文献>
高津図書館友の会 郷土史研究部古代班『考古たちばな 第5・6合併号』
川崎市『川崎市史 資料編Ⅰ』
現地説明版
人気ブログランキングへ
- 2019/02/21(木) 00:10:28|
- 川崎市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0