
前回の「諏訪浅間塚古墳」に引き続き、今回は同じ川崎市高津区諏訪3丁目に所在する「諏訪天神塚古墳」です。
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、
今一モ同シ邊ニアリ四五十坪許ニテサマテ高カラサル塚ナリ上ニ天神社アルユヘ土人天神塚トヨヘリ
(中略)カレカ家ニ祖先ヨリ傳ヘシ武器寳物モアリシカカゝル農民トナリシカハ今ハ用なきモノナリトテコトゴトク前ナル塚ヘ埋メタリト云。 と書かれている古墳です。
昭和63年(1988)、川崎市内の古墳の所在調査が行われた際に、東高津小学校と地主さんの元に、出土した埴輪片が保管されていることが確認されたことにより、この諏訪天神塚は古墳として認識されました。
その後、測量調査と3次に渡る発掘調査が行われたことにより、詳細がわかってきているようです。墳形は現段階では円墳と推定されており、残存する長さ16.4メートルよりも大きな古墳であることは間違いなく、高さも築造時には6メートルほどはあったのではないかと考えられているようです。
埋葬施設は、泥岩を利用した切石つの無袖式横穴式石室で、出土した土器や埴輪から、古墳は6世紀後半の築造と考えられているようです。

画像は、西から見た諏訪天神塚古墳です。
土地の所有者である小黒家によると、前回の「諏訪浅間塚古墳」と同様に、二ヶ領用水工事の際に掘り上げによる残土を、洪水時の避難用の塚として盛り上げたものであると伝えられているそうです。
こちらの天神塚は、耕作により高さは失われているようですので、今、避難塚として使用するには、ちょっと厳しいかもしれません。。。

天神塚の墳丘上には、梅を持った管公の像があり、渡唐天神と彫られているそうです。これは、唐の国に渡った姿を示しているといわれ、元々は塚の上に安置されていたものの、明治35年4月25日が管公の一千年祭にあたることから、現在のように台座が設けられたそうです。

付近を散策していて気になったのが、画像の「馬頭観世音」と刻まれた石碑の立つ地点です。南から伸びた道路が、この石碑の場所で西に折れ曲がっていて、その後、北に向かって弧を描いています。
この場所が古墳の跡地とは考えられないのでしょうか。。。

石碑の背面には「縁起 凡そ二百余年前小黒彦兵衛なる者徳川御三家紀州候の愛馬を預かり余命つき此処に埋葬し馬頭観世音を奉祀した 十三代 小黒彦司」と刻まれています。
愛馬を埋葬した、というあたりからしても、この周辺に何らかの塚が存在したのではないかと妄想してしまいます。。。

案外、小黒恵子童謡記念館のお庭の築山あたりが古墳の痕跡だったりして…
<参考文献>
川崎郷土研究会「川崎諏訪の避難塚」『川崎研究 第17号』
川崎市教育委員会『川崎市文化財調査集録 第24集』
川崎市市民ミュージアム『諏訪天神塚古墳』
現地説明版
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- 2019/03/16(土) 23:26:45|
- 川崎市の古墳・塚
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