
画像は、川崎市宮前区宮崎に所在する「宮崎大塚古墳」を東から見たところです。宮前区の№28遺跡として登録されています。
この古墳は、かつては径25m、高さ5.5mの円墳であるととされていたようですが、平成2年(1990)2月に行われた測量調査により、の墳丘測量調査により、南北辺約27.2m、東西辺約24.8mm、高さ約4.7mの方墳であることがわかっています。
埋葬施設や周溝については未調査であることから不明ですが、古墳に見られる版築状の封土は確認されず、3本のトレンチの最下部はいずれも黒褐色土が厚く堆積していたようです。この調査結果からすると、宮崎大塚は古墳ではなく塚なのではないかとも考えられますが、真相はまだわからないようです。
南西から見た宮崎大塚古墳です。
遺存状態は良好であるようですが、南西側がアパートの建設により削平されており、また南側も道路により若干削られているようです。

墳丘頂部の様子です。
地元の古老によると、第二次世界大戦中は、この場所に高射砲の陣地が敷かれていたといわれています。現在は、宗教法人による石碑が建立されています。

墳頂部の石碑です。
塚の場所は私有地であるようですが、市民の参詣の場として公開されており、親しまれているようです。。。

宮前区の宮崎地区にはもう一箇所、古墳が存在したとされる場所があるようです。画像は、宮前区宮崎5丁目の、かつて高塚古墳が存在したとされる周辺です。
『川崎の遺跡』や、ネットで公開されている『ガイドマップかわさき 川崎市地図情報システム』には、「宮前区№120遺跡」として登録されている、名称のない古墳です。
東に延びた台地の先端部に存在していたというこの古墳は、昭和の初期までは墳径約10m、高さ約2mほどの墳丘が残されていたそうですが、その後の区画整理事業により発掘調査が行われないまま消滅。詳細が全くわからない古墳です。
南北に走る道路がわずかに「く」の字に折れ曲がっているあたりは、ひょっとしたらかつて古墳が存在した名残なのかもしれませんが、これも真相はわかりません。。。
<参考文献>
野中和夫「川崎市宮前区宮崎大塚古墳測量調査報告書」『川崎市文化財調査集録 第28集』
高津図書館友の会郷土史研究部『鎗ヶ崎遺跡発掘調査報告書』
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- 2019/04/19(金) 00:14:08|
- 川崎市の古墳・塚
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