
画像は、川崎市宮前区馬絹にある「馬絹神社」です。
この神社の祭神は伊邪那美命で、応神天皇、大山祇命、菊理姫命が合祀されています。創建年は江戸元禄以前で詳細は不明で、元は女体権現社と称し、明治43年3月に近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の4社を併合して神明神社に改称し、馬絹村の村社となりました。昭和61年に総檜造り本殿を新築、社名を神明神社から馬絹神社へと改称されています。

神社本殿と境内の様子です。
前回取り上げた「馬絹古墳」は、この馬絹神社の東側に隣接しています。
この神社の敷地内には、富士塚が一基、存在します。
これまで多くの富士塚を見学してきた中で、元々存在した古墳に新たに土を盛って築造した富士塚が数多く存在することを知り、馬絹古墳に隣接して、同じ台地の縁辺部に所在するこの富士塚がずっと気になっていました。(実は、最初に馬絹古墳を訪れたときにはこの富士塚を見落としてしまって、6年ぶりにこの場所を訪れました。)

あまり目立ちませんが、本殿東側の石段の前に「参明藤開山 富士浅間大神」と刻まれた石柱がたてられています。この石段を登った台地上に富士塚が所在します。

富士塚に向かう参道の入り口に祀られている祠は、源頼朝が馬の袖衣を掛けたといわれる「御神木千年松の祠」です。この御神木は残念ながら昭和16年に枯死してしまったそうですが、枯れた根の一部が祀られています。
馬絹の地名は、この頼朝公伝説により呼ばれるようになったともいわれているそうです。

石段を登ると、やがて富士塚が見えてきます。
塚の裾部には富士講碑、二十三夜塔、地神塔などが建てられています。

ようやく頂上まで来ました。
塚には石段が造られています。

この日はまず馬絹古墳を見学して、坂道を降りて鳥居をくぐり、神社を参拝してから石段を上がって富士塚までたどり着いたわけですが、実は馬絹古墳のすぐ隣に富士塚が並んで存在するという衝撃の事実が(笑)。
富士塚の石段で振り返ると、先ほどまで眺めていた馬絹古墳をもう一度見る、という状況になりました。
落ち葉が夕陽に染まってとても綺麗です。
塚上の様子です。
見学してみてあらためて感じたのですが、台地の縁辺部に馬絹古墳と並んで存在するこの富士塚が、元々は古墳であるという可能性はないのでしょうか。もしこれが古墳だとすると、多少の削平は受けているものの、塚上は綺麗な円形が保たれているようです。
訪れたのが12月の終わりごろということもあり、地面にはかなりの落ち葉が積もっていたのですが、なんとなく直感的に、そこが地面じゃなくて石室の天井石の上にいるのでは?という気がして、この落ち葉を払ってみて、つま先で軽く地面をトントンと叩いてみました。すると、中央のあたりでは、まるで下に空洞があるかのような振動があるのですが、同じことを隅の方で試してみると、地面の下は詰まっているように振動がない。
ひょっとしたら、この塚の内部には未盗掘の古墳の横穴式石室が残されており、つまり本当に空間があるのではないか?という妄想が広がってしまいます。
神様が祀られている場所ですので、発掘調査はなかなか難しいかもしれませんが、とても気になる富士塚でした。
<参考文献>
馬絹神社奉賛会『馬絹神社のしおり』
宮前区歴史文化調査委員会『宮前区歴史ガイドまち歩き』
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- 2019/05/19(日) 23:39:20|
- 川崎市の古墳・塚
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