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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「鬼塚」―葛飾区指定史跡―

「鬼塚」―葛飾区指定史跡―

 画像は、葛飾区奥戸1丁目にある「鬼塚」を南東から見たところです。『東京都遺跡地図』には、葛飾区の遺跡番号25番の塚として登録されています。
 この鬼塚については、以前にこの『古墳なう』で紹介しましたが、その後調べて判ったこともあり、書き加えて再掲載してみようと思います。

 この周辺は昔は一面の水田地帯で、長雨に見舞われるとあたりは水浸しとなり、陸地がこの塚だけとなって周辺の蛇がこの塚に集まることから「蛇塚」とも呼ばれていたようです。また、二本の松の木が高く聳えて遠く四ツ木橋からも望見できたことから「二本松」とも呼ばれていました。また、葛西城の合戦との関係があり「首塚」ではないかとも考えられていたようです。
 塚の周辺からは、古くから古墳時代後期の遺物が採集されており、古墳ではないかとも考えられていたそうです。しかし、近年の発掘調査により、中世と近世の二つの時期に築造された塚であることが判明しています。
 元々の中世の塚は、近世に造られたとみられる土盛の下にかなり良好な状態で遺存しているそうで、東西約8m、南北約8.5mの方形を呈していると推定されています。土坑の分析の結果から、13世紀に墳墓として築造された可能性も考えられているようです。また、塚の南側からはハマグリを主体とした貝殻が堆積しており、生業活動に伴う儀礼行為が行われていたのではないかとも考えられているようです。その後、近世になって中世の塚の上に新しく土が盛られ、現在は東西約13.9m、南北約15.4m、高さ約1m(海抜)の方形ないし不整の円をなしています。塚の上に鎮座していた石の祠には「寛保二年壬戌七月吉日」と刻まれていたそうで、築造された年代として参考になるのではないかとされています。

 塚の周りはきれいに整備されており、南東角には葛飾区教育委員会による説明板が立てられています。敷地内は立ち入り禁止なので、塚に近づいて見ることは出来ませんが、かつては鳥居が建てられて稲荷神の祠が祀られていたようです。また、この地から建武の紀銘年号の板碑が出土したそうですが、現在は所在が不明となっているようです。

<参考文献>
葛飾区郷土と天文の博物館『鬼塚・鬼塚遺跡Ⅶ』
萬年一『葛飾百話』
現地説明版


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  1. 2017/11/01(水) 21:40:03|
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「葛飾区№23遺跡」

「葛飾区№23遺跡」

 画像は、葛飾区奥戸3丁目にある「葛飾区№23遺跡」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には、葛飾区の遺跡番号23番の「時代不明の塚」として登録されています。

 この塚については以前にもこの『古墳なう』で紹介したのですが、その後、最訪した際に土地の所有者のおばあちゃんやそのご友人である奥様にお話を聞くことが出来ました。また、その後入手した新しいカメラで写真も取り直すことが出来ました。あらためて取り上げてみようと思います。

 祟りなどの否定的な言い伝えが存在したが故に、崩されずに残された古墳や塚の事例はこれまでにも数多く取り上げてきましたが、この塚にも古くからの祟りの言い伝えがあったようです。実際に、塚の整備の際に敷地内で立ち小便をしたところ、なんと!作業員の局部が大きく腫れ上がったということがあり、これは地元の人たちには塚の祟りだったのではないかといわれていたようです。
 塚上には弁天様の祠が祀られていますが、作業員はこの弁天様の怒りに触れてしまったのでしょうか。。。


「葛飾区№23遺跡」

 塚上に祀られている弁天様の祠です。
 古くは、ある大学がこの塚の発掘調査を行ったことがあるそうです。土器らしき遺物が出土したともいわれているようですが、この調査がいつごろ行われたものなのか、またどの大学が行った調査なのか、詳細は全くわからず、この記録が記されている文献等は見つけることが出来ませんでした。。。


「葛飾区№23遺跡」

 塚と同じ敷地内にひっそりと置かれているのが男根の石碑です。
 この一帯が草ぼうぼうで藪になっていたところを、土地所有者のご友人である奥様が草むしりなどの整備をした際に発見したものであるそうです。子宝に恵まれなかったという土地所有者のご先祖様が、この碑を祀って祈願したものであるそうですが、過去にはこの存在を知ったTV局が取材に来たこともあるのだと、奥様から教えていただきました。
 なぜか今回の塚にまつわるお話は下半身ネタが多くて、奥様も話し難かったかもしれないのですが、興味深いお話を聞けて、勇気を出して話しかけてみて良かったです。

 ちなみに南西に数百メートルほどの地点には、発掘調査により中世と近世に築かれた塚であると判明した「鬼塚」が今も残存します。また北西数百メートルほどの中川を渡ったあたりには「熊野神社古墳」や「南蔵院裏古墳」等で形成される「立石古墳群」が存在します。この塚が古墳であるのか塚であるのかは諸説在るところですが、今後の調査の進展が楽しみな塚ではないでしょうか。

 土地所有者のおばあちゃんとご友人の奥様には色々と教えていただきました。
 楽しい時間をありがとうございました!

<参考文献>
葛飾区郷土と天文の博物館『鬼塚・鬼塚遺跡Ⅶ』


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  1. 2017/10/31(火) 00:44:52|
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「入定塚」

「入定塚」

 画像は、葛飾区奥戸2丁目に所在する「入定塚」を南から見たところです。画像の右側は「南葛大師」で、左側が入定塚であるとされる「森市地蔵尊」です。森市地蔵尊の祠の前には「入定塚」の石碑が建てられています。
 この場所には、村の古老の間で語り伝えられたという伝説が残されています。

 ここに入定埋葬されたという森市は、他郷からこの土地に流れてきて土着したといわれ、村人の施しに縋って毎日の命を継いでおり、有る時は食べ、無い時は食べないという状態で、この塚のあたりに小屋を掛けて雨露を凌いでいたといわれています。森市は毎日村を廻って日暮れにはここに戻り、貰ったものを煮炊きしていました。村人たちはその姿を見ていて、何もない時に残り物を持っていって与えてやると、何度も何度も頭を下げていたそうです。
 こうして何年か暮らすうちに、森市は自分の寿命が尽きることを悟り、これまで情けをかけてもらった村人の恩義に報いるために、生きながら入定して悪疫災難を村から除き、村人の無病長生の祈願を続けることを約束しました。
 森市は、「この鈴の音が聞こえなくなったら成仏したと思って下され。念願は成就します。」と遺言を残してこの地に作法通りに座禅を組み、経文を唱えて行ない済せて宝鈴を振り続け、森市は村の発展と平和を願い、入定を断行したといわれています。

 「入定塚」前に立てられている説明板には次のように書かれていました。

 入 定 塚 の 由 来
 此の入定塚は、森市と言う六部(行者)の終焉の地です。
以後この場所を、森市地蔵・または圦の河岸・と呼んでいます。
 森市は、江戸時代他国より廻国してきた「六部」で、此の村で何年か過ごし
ましたが村人にも大変尊敬された行者でしたが「自己の天寿を悟り」今迄大変
お世話になった村の人等の繁栄を祈願し「入定」しました(入定とは生きなが
ら墓穴に入り、即身仏となって命を断つ意)。
 経文を唱え、鉦を打ち、其の音が「三日・三晩」続いた……と伝えられてい
ます。村人は森市の死を哀れみ、お地蔵様を祀り供養しました。
 現在のお地蔵様は、お堂内に祀られている聖徳太子像の、背面に安置され
ています。

 南 葛 大 師 第十二番 の 由 来
 南葛八十八ヶ所の一霊場として、お大師様のご遺徳と村の繁栄を願い、大
正十二年奥戸六丁目・真言宗 善紹寺住職 宇田川恵心 師、竝に地元有志
の「発願」により小堂を建て、弘法大使の石像を安置したもので「南葛大師」
と呼び称されています。以来、旧南葛飾郡一円の善男善女の信仰を集め、現
在に至っています。
  古き代の 石のみほとけかしこみて
              斎きまつれる 人ぞ尊き
                          坂本 凱二  詠
 両社とも毎年六月二十四日 午前十時より盛大な供養会を執行しています。
                  所在地 葛飾区奥戸二丁目一番八号
  平成十年六月
                     森市福地蔵尊弘法大師奉賛会



「入定塚」

 森市の入定を哀れんだ村人は遺言通りに塚を築いて手厚く葬り、それがこの「森市地蔵尊」です。
 この付近に住むたばこ屋の老婆の話では、子供の頃に古老から聞いた話として、宝鈴の音が三日三晩鳴り響いたそうで、このころに森市は入定したのではないかと話されていたそうです。
 このお話は、いつ頃の時代のものかも判らず、また森市という六部とも按摩とも知れない人物が何者なのかはいっさい不明ですが、現在も村人の篤い信仰によって老人たちの念仏講中に支えられて、毎年2月には墓前で念仏供養会が捧げられているそうです。

 私が訪れた当日も、地元の女性が犬の散歩がてら、この森市地蔵尊にお参りに来ていました。
 今でも地元の人に大切に祀られているようです。。。

<参考文献>
萬年一『葛飾百話』
現地説明版


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  1. 2017/10/30(月) 00:02:24|
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「一里塚」(葛飾区指定旧跡)

「一里塚(葛飾区指定旧跡)」

 慶長九年(1604)、徳川家康は秀忠に命じて東海道、東山道、中仙道の三街道を整備させ、江戸日本橋を起点に沿道一里毎に一里塚を設けられました。そして、この亀有の一里塚はその後、水戸街道中の千住松戸両宿間に、日本橋より三里の地点の塚として設置されたものです。
 一里塚はすでに消滅して存在せず、本来あった場所から約10メートル程西側の歩道の片隅には、葛飾区教育委員会による説明板とともに「一里塚」の石碑が立てられています。そして、面白いのは石碑と説明板の横に並んで、助さん格さんを従えた水戸黄門様の像が置かれています。(写真が日陰に入ってしまってちょっと見難いのですが)

 説明板には次のように書かれていました。

一 里 塚 跡
所在地 葛飾区亀有三丁目12番地先
    葛飾区亀有一丁目28番地先稲川淳二 生き人形

 一里塚は、江戸日本橋を起点に、一里(約4km)ごとに設けられました。塚は道路の両側に設置され、榎などが植えられました。榎は根を深く広げることから、塚の崩壊をを防ぐ役割があったようです。
 一里塚の起源については諸説ありますが、現在では一里塚といえば、慶長九年(一六〇四)に設置が命じられた江戸時代のものをさします。
 亀有の一里塚は、千住宿から一里、江戸日本橋からは三里のところに位置します。現在ではその様子を伺うことはできませんが、明治の末頃までは塚の跡が残っていたようです。
 塚の位置は、ここから東へおよそ10m先にありました。
葛飾区教育委員会



葛飾区 未登録 一里塚跡2

 一里塚が築かれていたのは、旧水戸街道沿いのこの交差点のあたりではないかと思われますが、残念ながら痕跡は残されていないようです。


こち亀銅像

 JR常磐線・亀有駅を降りるとこち亀銅像がお出迎え。
 この漫画は私が小学生の頃に連載が始まっていて、ちなみに私は30巻くらいまでは買って集めていた記憶があるのですが、私は山止たつひこ名義だった劇画調の絵の頃が好きでした。銅像が建つような国民的漫画になったのですね。
 初めてこの街を訪れたころ(30年くらい前?)はもちろん銅像はありませんでしたが、もっと昭和っぽい街だったように思うのですが(というか昭和だったのですが、笑)まるで別の街のようにかわっていてびっくりしました。

<参考文献>
東京都葛飾區役所『新修 葛飾區史』
現地説明版


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  1. 2017/10/29(日) 00:34:00|
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「柴又八幡神社古墳」(葛飾区指定史跡)

柴又八幡神社古墳

 柴又八幡神社古墳は、葛飾区柴又3丁目の八幡神社の境内にあります。画像は、社殿を南から見たところです。
 以前より露呈していた石組などから古墳ではないかと考えられていましたが、昭和40年の社殿改築に際して、考古学者による調査が行われ、埴輪片、馬具、石室石材の存在が確認されたそうです。現在は、社殿内に石室が復元されているそうですが、通常は非公開のようです。平成3年の立石遺跡の緊急調査では、墳丘は全く失われていますが、周溝内径12m、外径17mの陸橋付の円墳の周溝が検出されたそうです。平成14年に寅さん似の埴輪が出土され、報道されたことで有名になりました。


柴又八幡神社古墳

 画像は、社殿裏の島俣塚です。出土した遺骨や遺品を納めてあるそうです。





  1. 2012/07/23(月) 01:11:14|
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