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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「二本榎塚(天神塚)」

「二本榎塚(天神塚)」
 
 江戸街道と八王子道が交差する南東の一角に存在したとされるのが「二本榎塚」です。画像は、この二本榎が所在したとされる旧江戸街道と八王子道の交差する地点を東から見たところです。その名の通り、二本の榎が植えられた塚であったといわれていますが、開発により完全に消滅しており痕跡を見ることはできません。
 『瑞穂の地名』によると、「二本榎 石畑診療所の東、江戸街道と八王子道とが交差する東南の一角には、二本の榎が植えられた塚があったとのことである。今その名残と思われる宝篋印塔の上半分と自然石に庚申と彫った塔が残っている。戦前はここはむしろ凸地になっていたが、これは江戸街道の道ぶしんの際に塚の土だけでは足りず、地下に掘り下げ、砂利の採掘をしたためである。この二本榎を越した南の一帯を榎向うとよんでいる。」と書かれています。


「二本榎塚(天神塚)」

 二本榎から北に向かった、残堀川を渡る「二本榎橋」に塚の名称を見ることができます。
 この塚に立てられていたという宝篋印塔と庚申塔は当時、瑞穂町の郷土資料館に移されたようですが、現在は所在がわからなくなっているとのことで、見学することは出来ませんでした。瑞穂町では現在、石造物の追跡調査を行っているようですので、発見されることを期待したいですね。。。


「二本榎塚(天神塚)」

 二本榎橋の中央には石橋供養塔が建てられています。石橋供養塔とは、橋の建造中に事故などでなくなった人の供養のためのものと思いがちですがそうではなく、石橋が落ちることなく永続的に続くようにという願いを込めて建てられた記念碑であるといわれています。瑞穂町内には合計5基の石橋供養塔が建立されているようですが、当時数少ない石橋がどのようなものであったか、とても興味深いものです。 

<参考文献>
瑞穂町教育委員会『瑞穂の地名』
紅林章央「多摩の橋景色の移り変わり」『多摩のあゆみ 第123号』


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  1. 2016/06/12(日) 04:05:47|
  2. 福生市•羽村市•瑞穂町の塚
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「瑞穂町内の消滅塚について」

「瑞穂町内の消滅塚について」

 西多摩郡瑞穂町の旧石畑村周辺には、かつては数多くの塚が存在したといわれています。そのほとんどはすでに開発により消滅しており、その姿を見ることはできませんが、地元の郷土誌などの記録の中にその面影を見ることができます。

 現在の西多摩郡瑞穂町武蔵周辺に所在したとされるのが「思案塚」です。瑞穂町教育委員会より発行された『瑞穂の地名』にはこの塚について「石畑の上(かみ)駐在所の道は江戸街道を横断してしばらく行くと二又に分れる。右へ行けば、一本杉の所で拝島街道に交差し更に進んで川崎街道となる左側を進めば、桜株で拝島街道に合する。更に進めば福生街道と合し、先は伊奈街道となる。旅人が右に行っても左に行っても、所詮拝島街道に行き当るのであるがさてどちらの道を通ったらよかろうかとしばし、立止まって思案したところであったので、この二又の間につくられた塚を思案塚と名づけたという。」と、この塚の所在地と名称の由来について記されています。
 この周辺は、特に新青梅街道の南側を中心に区画整理が行われているため、思案塚の所在地である二股の道の正確な場所はわかりません。画像にみえる、新青梅街道の奥(南側)あたりが思案塚の跡地であると思われますが、塚の痕跡を見ることはできないようです。


「瑞穂町内の消滅塚について」

 日光街道と大江戸街道が交差する南東の隅には、福泉氏の享保年間の碑の立つ、笹に覆われた塚があったといわれています。大江戸街道は別名桜街道と呼ばれ、かつては道の両側に桜の木が植えてあったそうですが、その名残か塚の近くにも桜の大きな切株があり、このことから「桜株」の地名が生じたといわれています。
 現在の旧日光街道を南に向かうと、横田基地により道が分断されて行き止まりとなっており、画像がその突き当たりの周辺です。地名の由来となった桜株や笹に覆われたという塚は基地の広大な敷地に取り込まれて痕跡はまったく残されていないようです。


「瑞穂町内の消滅塚について」

 桜株の東側、石経塚から西に伸びた農道が大江戸街道に交差するところにあったといわれるのが「念仏塚」です。また、この日光街道をさらに南に進み、川崎街道が交差するところには村山雅楽助の子の孫右衛門を葬った塚であると伝わる「孫右衛門塚」があったといわれています。
 都市化により街の景観が変わっても、東京というところは意外と古いものが残されていたりするものですが、この横田基地の容赦ない感じは言い知れぬ寂寥感に襲われます。
 戦争ばっかりやってると土地の歴史も破壊されてな〜んにもなくなっちゃうからいい加減やめね〜か?と根拠なく思います。。。

<参考文献>
瑞穂町教育委員会『瑞穂の地名』


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  1. 2016/06/08(水) 00:28:00|
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「どうせん塚(道仙塚)」

「どうせん塚(道仙塚)」

 画像は、西多摩郡瑞穂町石畑に所在する火の見櫓を北東から見たところです。この場所に、古墳ではないかとも考えられていた塚が存在したといわれています。

 「どうせん塚」と呼ばれるこの塚はこの付近一帯の地名ともなっていた塚で、古くから知られていたようです。瑞穂町教育委員会より発行された『瑞穂の地名』にはこの塚について「上道仙塚とも記す。塚のあった附近一帯の地名。塚の位置については、上の火の見櫓にあったが、残堀川の改修や、青梅街道の普請の際の埋立用に使用され姿を消した。」と書かれています。跡地には何の痕跡もなく、残念ながらすでに削平されて消滅してしまったようです。


「どうせん塚(道仙塚)」

 この塚の南側は「塚越」と呼ばれており、このどうせん塚を越した向う側の土地という意味であったのだろうと考えられているようです。
 開発が進むずっと以前には塚が人々の目印になっており、道標のほかに庚申塔や馬頭観音等、石造物が立てられている塚も多かったのではないかと思いますが、スマホやカーナビが道案内をしてくれる現代において塚はすでに必要のない存在なのかもしれませんね。。。


殿ヶ谷地区火の見櫓

 瑞穂町内ではいくつかの火の見櫓を見ることができます。画像はお隣の、「殿ヶ谷地区火の見櫓」です。どちらも青梅街道沿いに建てられています。昭和28年に建造されたというこの火の見櫓の説明板には「殿ヶ谷地区火の見櫓は、殿ヶ谷地区住民によって建造され、瑞穂町消防団第4分団の消化防災活動の拠点として運用されてきました。現在では、青梅街道に沿って形成された狭山丘陵の景観の一部として、貴重な地域的遺産となっています。」と書かれています。もちろん今でも現役で活躍しているものと思いますが、石畑のが3本脚なのに対して殿ヶ谷のは4本脚だったりして、しかも殿ヶ谷のは鐘がついているのがノスタルジックで良いです。。。

<参考文献>
瑞穂町教育委員会『瑞穂の地名』


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  1. 2016/06/07(火) 01:37:41|
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「石畑上駐在所の塚」

「石畑上駐在所の塚」

 画像は、西多摩郡瑞穂町石畑にある石畑上駐在所を北から見たところです。この駐在所の場所にも大きな塚が存在したといわれています。

 この塚は古墳であった可能性を指摘されており、『瑞穂町史』には「石畑では上石畑に塚越の字名とともに一つの塚が現在の上駐在所のところにあった。これなども古墳の一つであろうか。」とあり、また『瑞穂の地名』には「尚、これとは別に、石畑上駐在所のところにも大きな塚があり、その上には、現在、地蔵堂の傍にある。享保年間の庚申塔と、文政年間の馬頭観世音の塔が建っていた。これも、道仙塚同様、残堀川のつくった凹地の埋立て用に使われてしまった。」と書かれています。塚の場所に痕跡は何も残されていないようですが、塚上に建てられていたという享保年間の庚申塔と、文政年間の馬頭観世音の塔が今も残されています。


「石畑上駐在所の塚」

 画像は、「吉野岳地蔵堂」を南から見たところです。旧青梅街道を挟んで石畑上駐在所の北東側にあり、瑞穂町の有形文化財に指定されています。この敷地内に庚申塔と馬頭観世音の塔が保存されています。敷地内に設置された説明板には次のように書かれています。

瑞穂町指定有形文化財 吉野岳地蔵堂

所在 東京都西多摩郡瑞穂町大字石畑一〇八五―一
指定 昭和五十二年五月二十八日
屋根は、方形造り・銅板葺(昭和四十九年に
鉄板葺が銅板葺となる)
総欅造り。

 地蔵堂は、江戸時代(文久三年、一八六三)の
建造、棟札によると、当時、石畑村の名主(戸長)
であった吉岡助右衛門が、子女の病気平癒を祈願
し、大方の寄進をなし、この堂を再建したという。
 小堂ながら正格な唐様建築で、地蔵堂としては
他に見られぬ建物である。殿ヶ谷福正寺観音堂と
同形式の仏寺建築で、同じ棟梁門下の作といわれ
ている。堂内には石像地蔵尊(享保四年)が安置
され、鏡天井には、吉川縁峰の筆になる竜の絵が
えがかれている。

 昭和五十七年三月二十七日建立
              瑞穂町教育委員会



「石畑上駐在所の塚」

 画像の中央が享保年間の庚申塔で、左が文政年間の馬頭観世音の塔です。
 この上駐在所の塚に限らず、周辺には古墳ではないかと考えられていた塚が数多く存在したようです。これらの塚はすべて消滅しており、どんな性格の塚であったかは知る由もありませんが、多くの塚が削平されたにもかかわらず古墳に関連する遺物の出土や埋葬施設の発掘の言い伝え等はいっさい残されていないようです。やはりこの周辺の古墳の存在の可能性はあまり高くはないのかもしれません。。。

<参考文献>
瑞穂町役場『瑞穂町史』
瑞穂町教育委員会『瑞穂の地名』


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  1. 2016/06/05(日) 01:53:21|
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「一本榎の塚」

「一本榎の塚」

 前回は西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷に存在したといわれる「小山古墳」を紹介しましたが、殿ヶ谷の阿豆佐味天神社周辺には、ほかにも数ヶ所の古墳ではないかと考えられる塚が存在していたといわれています。残念ながらこれらの塚は古墳に関連する遺物の出土などの事例もなく消滅していますが、痕跡を見ることのできる塚は僅かながらも残されているようです。
 阿豆佐味天神社の南方、現在の新青梅街道のあたりにも、かつて小高い塚の上に榎の大樹が存在しており、古墳ではないかと考えられていたようです。瑞穂町役場より昭和49年(1974)に発行された『瑞穂町史』にはこの塚について、「阿豆佐味天神社から1キロほど南方新江戸街道の辺に、昭和41年9月24日の台風で老幹が吹き折られてしまったが榎の大樹があった。この榎は小高い丘の上にあったが、この丘も昭和46年に整地されて今は失われてしまった(これ等が、確実な古墳であれば阿豆佐味天神社を奉祭した豪族の古墳であろうと考えても不自然ではない。)」と書かれています。

 画像は、復元された現在の「一本榎の塚」を東から見たところです。かつては現在の場所の交差点を挟んだ向かい側(東側)に存在していたようですが、現在はジョイフル本田瑞穂店の駐車場の一角に再現されています。


「一本榎の塚」

 この一本榎の塚の前の道は、江戸時代前期に江戸と青梅方面を結ぶ道として作られた古道で、この周辺では「江戸街道」(武蔵村山方面では市街道、村山通り江戸道、引又街道とも呼ばれる)と呼ばれる主要道路でした。塚の敷地内にも「江戸街道」と書かれた立て札が立てられています。また、榎の大木だけではなく塚の盛り土も再現されており、往時と変わらぬ姿を見ることができるようです。


「一本榎の塚」

 榎の大木の下には塚が築かれ、塚上には現在も大きな石の庚申塔が建てられています。横には「文化十癸酉歳九月吉、武刕多摩郡邑山郷殿ヶ谷村」、台右には「惣村、講中、発願主 小峯佐兵衛」と刻まれています。

<参考文献>
瑞穂町役場『瑞穂町史』
瑞穂町史編さん委員会『瑞穂小史』
瑞穂町教育委員会『炉辺夜話』


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  1. 2016/06/04(土) 00:55:33|
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