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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「下落合横穴墓群跡」

「下落合横穴墓群跡」

 「落合横穴墓群」は、新宿区下落合2丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には、新宿区の遺跡番号6番の「横穴墓」として登録されています。

 この横穴墓群は、薬王院の南西側、西から東へ流れる妙正寺川左岸の落合台地の南裾の台地先端で宅地造成中に偶然発見された横穴墓です。当時、この工事を行っていた現場作業員は突然の人骨の出土に驚き、一度はこの出土人骨と横穴を埋め戻してしまったのだそうですが、その後、戸塚警察署に連絡、刑事事件として取り扱う必要はないものと判断されたようです。
 その後の調査により、4基の横穴が確認されています。

 1号横穴は、パワーシャベルによって破壊されていたものの奥壁と床面の一部は残されており、3号と類似のものであったようです。
 2号横穴は1号と3号の中間にあった横穴で、人骨の出土に驚き、埋め戻した後に戸塚警察署に連絡したというのが、この2号横穴であるようです。この遺構は、完全に破壊されて失われていましたが、2体分の人骨の一部と直刀一振が採集されています。
 3号横穴は切道、玄室、羨道の各部が明確に残されており、実測図が作成されています。副葬品は何も出土しなかったようです。
 4号横穴は、行なわれた調査においては確認されていないようですが、パワーシャベルの運転者の証言により確認された横穴で、2号の北3mほどの1号と2号の中間にも発見したと伝えられているようです。
 また、かつて昭和33年9月の狩野川台風の際に、1号横穴の北約15mほどの崖がくずれ、人骨が出土したことが、落合新聞(39号)に記されています。この人骨は、東京大学教授の鈴木尚氏が1300年前のものと推定したということであり、この年代から横穴古墳埋葬のものと考えられることから、下落合横穴墓群は少なくとも5基の古墳が存在したということになるようです。


「下落合横穴墓群跡」

 1枚目の画像は、同じ下落合2丁目にある下落合弁財天です。残念ながら古墳はその後の宅地造成工事により消滅しましたが、下落合弁財天の境内に、新宿区教育委員会による説明板が設置されています。

史跡 下落合横穴墓群跡
所在地:新宿区下落合四丁目三番
新宿区登録有形文化財 考古資料
下落合横穴墓出土品
所 在 地 新宿区三栄町二十二番地
         新宿歴史博物館蔵
登録年月日 昭和六十一年三月七日

 ここ下落合弁財天の裏手一帯は、昭和四十一年(一九六六)
七月、宅地造成中に発見された下落合横穴墓群の跡である。
 下落合横穴墓群は、七世紀後半から八世紀初頭頃のものと推
定され、妙正寺川に臨む落合台地の側面に、川の氾濫を避ける
ように四基の横穴墓が確認された。
 出土品のうち人骨二体と直刀(刀身七十九センチメートル)
は、新宿区登録有形文化財に登録され、現在は、新宿歴史博物
館が所蔵し、横穴墓の断面模型などとともに常設展示のなかに
展示されている。
平成七年八月 東京都新宿区教育委員会



「下落合横穴墓群跡」

 横穴が発見された正確な所在地はもはやわかりませんが、だいたいこの辺りなのではないかという場所が画像の地点です。すでに宅地化が進められており、古墳の痕跡を見ることはできないようです。

<参考文献>
東京都新宿区図書館『落合の横穴古墳』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
羽賀善次郎『新宿の散歩道 その歴史を訪ねて』


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  1. 2017/10/17(火) 00:35:54|
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「擂鉢山」

「擂鉢山」

 画像は、新宿区西新宿1丁目25番地の新宿センタービル周辺を南東から見たところです。
 この一帯は、幕府旗下渡邊氏の下屋敷だったところで、「擂鉢山」と呼ばれる小丘があったといわれています。擂鉢山という名称からは前方後円墳を連想したくなるところですが、『東京都遺跡地図』には特にこの場所に登録されている古墳(遺跡)は存在しないようです。新宿副都心の高層ビル群に存在したといわれるこの擂鉢山は古墳だったのでしょうか。

 昭和6年に発刊された加藤盛慶著、『東京淀橋誌考』には、
 「渡邊土手際」 新宿驛の東側なる武藏野館、新歌舞伎座、三越支店等附近一帶の地は、舊幕臣渡邊虎之助の下屋敷にして、甲州街道に面し土手ありし故に名づく、維新後は武井男爵家にて買受け住み居たるよし、當時坪當り金五十錢位なりしと、其の後汽車開通の頃より、薪炭を商ふ店など漸次建増したるも、猶ほ一面に桑畑あり、竹藪あり、擂鉢山といへる丘もありて、莚小屋の芝居、相撲など掛り青梅街道側には藪花牡丹園などもありたるよし、古老は物語れり、猶ほ大正五年頃まで小林某の經營にて新宿座と稱する古き小劇場ありて、尾崎行雄等の政談演説會なども開かれたり。」(『東京淀橋誌考』501ページ)
 と、この地域に桑畑や竹藪とともに擂鉢山という丘があったことが書かれています。


「擂鉢山」
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=741346&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和19年(1944)に陸軍により撮影された擂鉢山所在地周辺の空中写真です。写真左側は当時の淀橋浄水場で、中央に見える前方後円形の影が擂鉢山ではないかと思われます。この影は、昭和20年(1945)の写真までは見ることが出来るのですが、昭和22年以降の写真には見られないようなので、戦後には取り崩されてしまったようです。もしもこれが古墳であれば、100メートルに満たない50~80メートルほどの小形の前方後円墳だったのではないかとも考えられます。


「擂鉢山」

 明治期の地形図を確認すると、やはり前方後円形の地形を見ることが出来るのですが、空中写真の前方後円形の影の位置とは異なる場所に描かれています。地形図にミスがあるとは考え難いところですが、空中写真の擂鉢山の位置には地形図にも塚らしき存在は描かれています。
 気になるのは、地形図の擂鉢山の後円部(?)の部分を取り囲むように円形の塚状の地形が見られることです。この地形図だけで判断すると古墳群か?とも考えられるのですが、この円墳群らしき影は、位置がズレているはずの空中写真の擂鉢山の周囲にも同様に見られるようです。
 東京都新宿区教育委員会より昭和51年(1976年)発行の『新宿区町名誌―地名の由来と変遷―』では、この擂鉢山は幕府旗下渡邊氏下屋敷の土塁だったとしているようです。元々あった古墳を土塁に転用したという可能性も考えられると思われますが、このあたりの真相はわかりませんでした。。。


「擂鉢山」

 最後の画像は『東京女子大学五十年史』の66ページに掲載されていた平面図です。
 東京女子大学は、大正7年(1918)に豊多摩郡淀橋町字角筈(つまり空中写真に見える擂鉢山らしき影の東側あたり)で開学しており、6年後の大正13年(1924)に豊多摩郡井荻村(現在地である杉並区善福寺2丁目)に移転しています。従って、この平面図は大正時代のものということになりますが、やはり敷地内の北東隅に前方後円形の築山が描かれています。
 また、興味深いのは敷地の南の隅にもう1箇所円形の築山が描かれていることです。ひょっとすると、擂鉢山はやはり空中写真の位置が正解で、地形図では何らかの手違いで、平面図にある円形の築山の位置に擂鉢山を描いてしまったのではないか?とも考えられますが、これも真相はわかりません。
 新宿副都心の高層ビル群に前方後円墳が存在したと想像するとちょっとわくわくしますが、もし古墳が現代まで残されていて、高層ビルと前方後円墳が並んでいたとしたらもっとわくわくしますが、時すでに遅し!古墳の痕跡はまっったく残されていないようです。


「擂鉢山」

 擂鉢山跡地のすぐ横、現在の新宿エルタワーの北側の植え込みの中には「淀橋浄水場趾の碑」が建てられています。
 淀橋浄水場は、東京にコレラが流行した明治19年に市民が9,800人も死んだことから、それまで使用していた玉川上水などを改良するためにオランダの技師、ファン・ドールンに調査を依頼、水道建設を設計させ、明治25年12月に着工、7年の歳月を経て32年12月に落成式が行われたそうです。玉川上水から引き入れて浄化した水は、中野、渋谷、文京区全域のほか新宿、中央、千代田、港、台東、江東、豊島、北、荒川区などにも給水していたようです。
 現在の、東京都庁、新宿NSビルを始めとした高層ビル群は、この淀橋浄水場の跡地に建てられています。この周辺を歩いていると地面の高さが違っていて、地上を歩いているのか地下を歩いているのかよくわからなくなってしまう場所なのですが、これは浄水場の池を地上の高さまで埋め立てるには予算がかかりすぎることから埋め戻さなかった、つまり現在の高層ビルは池の底に建てられているようなものなのだそうです。
 うーん。高層ビルより前方後円墳が見たかった…。

<参考文献>
羽賀善次郎『新宿の散歩道 その歴史を訪ねて』
新宿区教育委員会『新宿区町名誌 ―地名の由来と変還ー』
東京女子大学『東京女子大学五十年史』


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  1. 2017/10/02(月) 00:15:02|
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「妙正寺川No.1遺跡」(埴輪片出土地)

「妙正寺川No.1遺跡(新宿区立妙正寺川公園)」

 「妙正寺川No.1遺跡」は武蔵野台地の東側、妙正寺川中流域右岸の小原台面の台地下の低湿地に立地します。『東京都遺跡地図』には、新宿区の遺跡番号35番に登録されている遺跡で、現在は「新宿区立妙正寺川公園」として整備されており、南西側にはUR都市機構による集合住宅が建てられています。
 画像は、新宿区西落合2丁目の新宿区立妙正寺川公園を東から見たところです。


「妙正寺川No.1遺跡(新宿区立妙正寺川公園)」

 画像は、妙正寺川公園内のようすです。この妙正寺川No.1遺跡は、昭和59年(1984)に発掘調査が行われ、わずかに2点ながらも埴輪の破片が出土しています。周溝や埋葬施設等の詳細は不明で、周辺の土砂が流入した可能性も考えられることから古墳の正確な所在地は不明ですが、少なくともこの周辺地域に高塚古墳が存在したことは間違いないようです。

 東京都中野区役所より発行された『中野区史 上巻』には、この遺跡に隣接する片山地区に「片山東南方高塚古墳群」の名称で古墳群が存在したという記述があり、また妙正寺川を挟んだ対岸の哲学堂公園にも高地が認められ、この高地上にも「四ツ塚(四ツ塚古墳群)」と呼ばれる4基の塚が存在したといわれており、やはり古墳の可能性が指摘されています。また南方の「遠藤山遺跡」からは4基の円墳の周溝が発掘調査により検出されており、更なる古墳の存在が想定される地域です。この妙正寺川No.1遺跡内に存在した古墳は、片山東南方高塚古墳群に属する古墳だった可能性を感じますが、すべての古墳が消滅してしまった今、真相を知ることは出来ません。
 

「妙正寺川No.1遺跡(新宿区立妙正寺川公園)」

 公園内には、さまざまなスポーツを楽しむ若者たちの姿が見られ、また池の畔では日光浴をするカメさんの姿が見られます。古墳の痕跡らしき光景はなく、説明板等も特に見当らないようです。


妙正寺川

 画像が、杉並区内にある妙正寺池を水源とする妙正寺川です。中野区北部を蛇行しながら東に流れ、新宿区下落合で主流となる神田川に合流します。画像の左側が妙正寺川No.1遺跡である妙正寺川公園で、対岸である画像右側には哲学堂公園が所在します。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
東京都中野区役所『中野区史 上巻』
妙正寺川No.1遺跡遺跡調査会『妙正寺川No.1遺跡』


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  1. 2017/09/23(土) 23:44:32|
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「荒木町遺跡(埴輪片出土地)」

「荒木町遺跡(埴輪片出土地)」

 画像は、新宿区荒木町の「荒木町遺跡」の調査地点周辺を南から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には、新宿区の遺跡番号49番に登録されている遺跡です。

 この遺跡は武蔵野台地の東端部にあたり、神田川と目黒川に挟まれた淀橋台上に位置しています。旧江戸城から約3kmほどに位置しており、四谷見附と四谷大木戸を東西に結ぶ四谷大通りに近く、江戸時代にはこの附近は繁華な地域であったと考えられる場所で、かなり早くから開発の進んだ地域です。
 古墳時代の遺物は、わずかに1点ながらも円筒埴輪の胴部の破片が出土しています。周溝や埋葬施設等の詳細は不明で、周辺の土砂が流入した可能性も考えられることから古墳の正確な所在地は不明ですが、北東に200mほどに位置する「三栄町遺跡・新宿区立新宿歴史博物館地点」からも円筒埴輪片が出土していることから、古墳群の存在も考えられているようです。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
宗教法人 解脱会・新宿区荒木町遺跡調査団『荒木町遺跡Ⅱ』


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  1. 2017/09/22(金) 01:14:13|
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「三栄町遺跡」(埴輪片出土地)

「三栄町遺跡(埴輪片出土地)」

 「三栄町遺跡」は武蔵野台地の東端部にあたる、神田川と目黒川に挟まれた淀橋台上に位置している遺跡です。旧石器時代、縄文時代から近世までの複合遺跡で、『東京都遺跡地図』には新宿区の遺跡番号49番に登録されています。

 この三栄町遺跡について、『下戸塚遺跡Ⅳ』には「新宿区立新宿歴史博物館地点において円筒埴輪片が確認されている」とあり、『新宿区史』にもこの遺跡を「古墳?」と書かれているのですが、三栄町遺跡関係の発掘調査報告書には出土した埴輪についての記述が見つからず、詳細は不明です。西側に隣接する「荒木町遺跡」からも円筒埴輪片が確認されていることから、三栄町遺跡からの埴輪片出土が事実であれば、複数基の古墳の存在が想定されます。

 画像は、新宿区三栄町の「新宿区立新宿歴史博物館」を西から見たところです。
 この地域のどこかに古墳が存在したのでしょうか。博物館の学芸員の方にもお聞きしてみたのですが、三栄町遺跡からの埴輪出土の真相はわかりませんでした。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
東京都建設局・財団法人新宿生涯学習財団『下戸塚遺跡Ⅳ』


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  1. 2017/09/21(木) 01:12:04|
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