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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「入道塚(安保入道の墓)」

「入道塚(安保入道の墓)」

 多摩市関戸5丁目の個人宅の庭先に径5~6メートルほどの墳丘が残されており、墳頂部に石造の祠が祀られています。この塚は、関戸合戦で討死した鎌倉武者の安保入道の墓であると伝えられています。画像はこの「安保入道の墓」を北から見たところです。

 この塚については、平成9年に多摩市史編集委員会より発行された『多摩市史 通史編一』に詳しい記述を見ることができます。

 伝承についての詳細は拙論(釈迦堂1992)を参照されたいが、『関戸之記艸稿』に「我等屋敷南の方に古墳あり、柏樹を植たり、是古の安保入道道堪父子三人の埋し塚ならん、」とあり、『関戸旧記』には「亦、予ガ屋敷内ニ一ノ古墳アリ、墳上に榧ノ一樹アリ、古木ニシテ半朽半活テ枝葉繁茂シアリシガ文政ノ初ノ頃枯タリ、是亦何ノ墳ト伝フ事ヲ不知、按ズルニ、当所ハ古戦場ニシテ討死数多アレバ、其古墳ナルベシ、既ニ横溝八郎討死ノ時、安保入道討死スレバ、恐クハ是等ノ墳ニテモアルベクヤ」と記し、相沢氏は邸内の塚の主を推定しているのである。斉藤幸孝は関戸村調査の際に相沢伴主から聞取りを行なったらしく、『郊遊漫録(郊外見聞録)』に「安保入道父子ノ墓 在所不知、関戸入口に一 ツノ名主相沢源左衛門なる者、坪ノ内にも青石の碑建てる古墳アリ、榧ノ木茂り立、姓氏不知、もしくハ安保入道の墳墓たる、是ならんとハ、相沢氏の証作せられし、」と記して、塚の比定が相沢伴主によるものであることを明記している。


「入道塚(安保入道の墓)」

 画像はちょっと角度を変えて、北東から見た入道塚です。
 この塚の敷地は通称「相沢屋敷」と呼ばれる関戸村名主の相沢氏の宅地だったところで、この相沢伴主は、文政2年(1819)から天保7年(1836)にかけて『関戸旧記』を書き上げました。『関戸旧記』は、この地域の歴史的事件、史跡や伝承について書かれており、この中で、自邸内にある塚が関戸合戦で戦士した人たちの墳墓であるという可能性を指摘したそうです。この説は、当時の江戸の文人からは疑問視されたようですが、関戸では次第に定着して、『皇国地誌』等の明治時代の郷土誌にも取り入れられているようです。
 学術的な調査は行われていないことから、塚の性格は解き明かされてはいないようですが、塚の存在により、関戸の伝承が語り継がれていることが尊いことなのかもしれません。。。


「入道塚(安保入道の墓)」

 安保入道の墓は、現在でも現在の当主により大切に供養されているようです。
 当日は土地の所有者に許可を得て見学させていただきました。ありがとうございました。


「無名戦士の墓」

 画像は、入道塚の北方数十メートルの地点にある「無名戦士の墓」と呼ばれる無縁仏の石塔です。この場所も、関戸合戦の戦死者の墓であると言われています。昭和30年頃の道路拡張工事により現在地に移動されていますが、かつては旧鎌倉街道の脇にあったようです。
 冬でも草ぼうぼうで、うまく写真を撮ることができなかったのが残念です。。。
 ひょっとしたらこの場所にも塚が存在したのかもしれません。。。


「霞ノ関南木戸柵跡」

 画像は「霞ノ関南木戸柵跡」です。
 この周辺は、鎌倉時代の建歴3年(1213)に鎌倉街道に置かれた関所跡といわれています。建歴3年(1213)に鎌倉街道に造られた木柵の関で、街道沿いに設置された監視所の跡と考えられており、中世の関所跡としてすでに地名にも「関戸」と称されていたそうです。
 柵跡地は、熊野神社境内参道に並行して地表下30〜45cmのところに約45cmの間隔に丸柱(直径25cm)の痕跡16があり、道路の東側人も6、7ヶ所、丸柱の跡が見られるようです。
 歴史上貴重な史跡として、昭和36年には東京都の史跡に指定されています。


「関戸の庚申塔」

 とにかくこの周辺は多くの史跡が残されていて、街道沿いを歩くだけでも数多くの石像物を見ることができます。その度、立ち止まってしまうので、ちっとも進まないんですよね。笑。この日は、関戸を一日中見学して終わってしまいました。。。
 画像は、道すがら見かけた庚申塔です。


関戸の馬頭観音

 画像は馬頭観音です。ガードレールもない道路沿いに普通に残されていて、ちょっとびっくりします。

<参考文献>
多摩市史編集委員会『多摩市史 通史編一』
パルテノン多摩『関戸合戦 多摩市関戸に残る中世の伝承とその背景』
現地説明板


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  1. 2018/08/21(火) 01:31:21|
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「八郎塚(武将塚・横溝八郎の墓)」

「八郎塚(武将塚・横溝八郎の墓)」

 多摩市の関戸周辺は、元弘3年(1333)に新田義貞軍が北条泰家率いる鎌倉幕府軍を打ち破ったとされる合戦が行われた場所として知られています。分倍河原の合戦において敗走する鎌倉軍を関戸の地で追走した激しい戦いは「関戸合戦」とも呼ばれ、このようすは『太平記』という軍記物語に詳しく記されています。
 同書によると、分倍河原の合戦で新田軍に打ち破られた幕府軍は鎌倉を目指して退却しますが、多くの人々が討死しました。大将である北条泰家も関戸付近で討たれそうになりますが、横溝八郎が奮闘して敵を次々と射落とし、討死します。安保入道父子ら多くの家臣が討死を遂げる中、北条泰家は無事に鎌倉に逃れることができたと言われています。
 『太平記』は物語であることから脚色もあり、全てが史実とは言えないようですが、関戸合戦で討死したという横溝八郎は『御的日記』という現実の幕府の記録に登場しており、実在した人物であるようです。

 画像は、多摩市関戸5丁目に現存する、横溝八郎の墓であるとされる古塚、「八郎塚」です。


「八郎塚(武将塚・横溝八郎の墓)」

 塚は、個人の邸宅内に今も残されています。塚の裾には、「武将塚 横溝八郎之墓」と刻まれた石碑が建てられています。
 『関戸旧記』や『郊遊漫録』には、大小ある塚の1基が横溝八郎の墓であるとあり、関戸旧記では大きな塚を「山伏塚」と呼び、小さな塚を横溝八郎の墓であるとしているものの、郊遊漫録では逆であると記されています。この八郎塚が果たして大きなほうの塚なのか、それとも小さなほうの塚なのか、片方の塚が失われてしまった今となっては真相を知ることはできません。発掘調査も行われていないようです。


「八郎塚(武将塚・横溝八郎の墓)」

 塚の上にはお堂が建てられており、今も供養が行われているようです。


「八郎塚(武将塚・横溝八郎の墓)」

 通り沿いにある、「下の地蔵」と呼ばれる地蔵堂です。この地蔵堂の裏手が横溝八郎の墓です。地蔵は、寛文3年(1663)に建てられた盟約地蔵で、敷地の角に「関戸古戦場跡」の標柱が立てられています。
 当日は、土地の所有者に声をかけて見学させていただきました。ありがとうございました。

<参考文献>
パルテノン多摩『関戸合戦 多摩市関戸に残る中世の伝承とその背景』


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  1. 2018/08/18(土) 01:22:06|
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