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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「稲城市№84遺跡」

「稲城市№84遺跡」

 「稲城市№84遺跡」は、稲城市長峰に所在したとされる塚です。『東京都遺跡地図』には稲城市の遺跡番号84番の塚として登録されています。画像は、この塚の跡地周辺を南西から見たところです。

 この塚の所在地は現在は稲城市長峰の稲城市立長峰小学校の敷地内となっており、残念ながらすでに消滅して痕跡は見られないようです。まだ塚が存在した当時のようすが、稲城町誌編纂委員会より発行された『稲城町誌』に記されており、次のように書かれています。

 坂浜の経塚は、宝蔵院西方の寺院所有地内にあリ、昭和三十八年、東京大学某氏が無断発掘し、出土品は住職の要請によって、宝蔵院に変換されている。その内容は、銅鏡(菊花散し双鳥鏡か)一面・鉄刀片一箇・古銭二十一枚・数珠玉五十余顆・籾米若干その他であり、古銭は唐の開元通宝がもっとも古く、ついで北栄の咸平元宝・景徳元宝・祥符元宝・元禧通宝・皇宋通宝・至和元宝・熙寧元宝・元豊通宝・元祐通宝・紹聖元宝・元符通宝・皇宋元宝・大観通宝・政和通宝・金の正隆元宝があり、元の至大通宝(武宗。一三〇八~一二鋳)がもっとも新しい。このうちの至大通宝と鎌倉時代の製作と思われる和鏡とが、この塚構築年代の最上限を示すものである。そして室町初期以来さかんに日本で流通し た明の永楽銭を含んでいないことからいえば、この塚はそれ以前の遺構と考えられる。発掘を見た方の話では、この他に経筒に類するものがあったというが、宝蔵院保管の遺品中には、この塚が仏教経典を埋蔵した経塚であったことを示すものはない。(『稲城町誌』41ページ)

 大学の先生が塚を無断で発掘してしまうとはちょっとびっくりですが、今よりはずっとのんびりした時代だったのかもしれませんね。
 同書の記述からするとやはりこの塚は「経塚」で、古墳とは無関係であるようです。ニュータウンとして開発の進んだこの場所に、残念ながら塚の痕跡は全く残されていないようです。。。

<参考文献>
稲城町誌編纂委員会『稲城町誌』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2018/04/09(月) 23:42:18|
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「稲城市№155遺跡(どうしょう塚)」

「稲城市№155遺跡(どうしょう塚)」

 画像は、稲城市坂浜に所在する「稲城市№155遺跡」を北から見たところです。

 平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には記述が見られないことから、江戸時代の地誌である『武藏名称図会』と『新編武蔵風土記稿』には少なくともこの塚は記載されていないようです。また、私の所有している、昭和63年(1988)に発行された『東京都遺跡地図』には、稲城市の遺跡が129番までしか記載されていないことから詳細はわからなかったのですが、現在、東京都教育委員会により公開されている『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』には、「稲城市№155遺跡」の名称で「時代不明」の「塚」として登録されているようです。
 地元では「どうしょう塚」と呼ばれていることまでは判明しました。塚の東側はかなり急な崖になっていて、丘陵の尾根沿いの道の一番高い位置に塚は所在します。おそらくは、道しるべのような役割を果たしていたのではないかと考えられますが、周囲には塚の性格を推定できるような石造物はなく、説明板等も存在しないようです。その由来や伝承、出土遺物等についての詳細はまったくわかりませんでした。

 実際に現地を訪れて見て、少なくともこの塚は古墳ではなかったかなという印象で、高塚古墳の可能性のある塚は今のところは稲城市内には存在しないようです。
 せっかく見学することのできた塚の画像を何年も寝かせてしまうことなく、どんどん掲載しようということで取り上げてみましたが、新たな情報を入手した際にはあらためて更新し直そうと思っています。。。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
稲城市教育委員『稲城市の地名と旧道』


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  1. 2018/02/26(月) 23:58:08|
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「大塚」

「大塚」

 「大塚」は、稲城市百村に所在したといわれる塚です。すでに消滅して正確な所在地がわからなくなっており、『東京都遺跡地図』にも未登録となっているようですが、江戸時代の地誌『新編武蔵国風土記稿』にはこの大塚について、「東の方なり」と記載されており、古くからその存在は知られていたようです。
 名称からしてかなり大きな塚だったのではないかと考えられる大塚は、現在の稲城第一中学校あたりに所在したといわれているようですが、残念ながらその痕跡を見ることはできません。出土遺物や、由来等の言い伝えも見つけることはできませんでした。。。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2018/02/23(金) 22:50:55|
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「稲城市№89遺跡」

「稲城市№89遺跡」

 「稲城市№89遺跡」は、稲城市坂浜で発見された奈良時代の横穴墓です。『東京都遺跡地図』には、稲城市の遺跡番号89番の横穴墓として登録されています。

 この横穴墓は昭和50年、旅荘内の下水排水溝工事中に前室の一部が掘り抜かれたことにより発見され、緊急調査が実施されています。遺構は、後室部天井の一部の剥落を除いてほぼ完全な形で残されており、玄室、羨道部、閉塞施設等がほぼ原型を保った状態で確認されています。玄室からは、被葬された3体の人骨が発見されています。横穴墓は7世紀後半頃の築造と推定され、周辺地域に存在した小集落の長的な人物の墓ではないかと考えられているようです。
 画像の、坂道を登った奥のあたりが横穴墓の所在地であると思われます。


「稲城市№89遺跡」

 坂道を登ると、一見行き止まりのようにも見えるのですが、尾根沿いに極端に狭い道が続いています。この日は折りたたみ式の小さな自転車で散策していましたので、この人ひとりがやっと通れるような道を、草に体をこすりながらよたよたと進んでみました。


「稲城市№89遺跡」

 発見された横穴墓は1基のみであるようですが、横穴墓の性格や周囲の地形から考えてさらに数基の存在が想定されているようです。横穴墓は、調査後に埋め戻されているようですので、何か痕跡だけでも見学することができないものでしょうか。さらに道を進んでみました。


「稲城市№89遺跡」

 実は右側は急勾配の崖になっていてフェンスがなかったらとても自転車で進めるような状況ではなく、どうなってしまうのかと多少不安になりましたが、150メートルほど進むと舗装された車道が見えてきます。


「稲城市№89遺跡」

 これまで見学してきた横穴墓と比べると、ずいぶん山の高いところに位置する横穴墓だなという印象なのですが、果たしてまだ未発見の横穴が残されているのでしょうか。
 この道路の左側あたりに横穴墓が存在したのではないかと思われますが、すでに痕跡はなく、正確な所在地まではわかりませんでした。。。
 
<参考文献>
稲城市教育委員会『稲城市 文化財研究紀要 第10号』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2018/02/23(金) 00:52:06|
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「大丸城跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)」

「大丸城跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)」

 「大丸城跡」は、南武線南多摩駅の南方約300mほどの丘陵上に所在したとされる城跡です。多摩川を望む丘陵の突端に位置するこの一帯は、「城山」と呼ばれるなど、古くから中世の城跡ではないかと考えられており、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にも「土人これを城山と呼ぶ。登り一町余の山にて、上に堀の跡とおぼしき所あり、物見などせし所なるべし」と書かれています。
 この遺跡は、多摩ニュータウン造成工事に先立つ、昭和55年(1980)から61年(1986)にかけて3次にわたる発掘調査が行われており、縄文時代から江戸時代にかけての大規模な複合遺跡であることが判明しています。『古墳なう』としては、古墳時代の横穴墓が2基が検出されているほか、経塚・墓跡が3基されていることから、取り上げてみました!

 画像の周辺が大丸城の跡地であると思われますが、遺跡は山ごと削り取られて完全に消滅しており、現在は閑静な住宅地となっています。(実は、この写真を撮影するために登った高台が、稲城市の中央図書館もある「城山公園」なのですが、ここは実は城山とは全く関係がなく、あくまで「大丸城」のあったところが「城山」なのだそうです。紛らわしいですが。)


「大丸城跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)」

 遺跡は消滅してしまったようですが、稲城市向陽台6丁目の小公園となっている一角に、稲城市教育委員会による説明板が設置されており、発掘当時の大丸城跡のようすを見ることが出来ます。(説明板にある、調査が終わってむき出しになった城跡の写真はなかなかに強烈です。これを山ごとずべて削り取って住宅地にしてしまったのかと思うと、もはや驚きしかありません。。。!)


「大丸城跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)」
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=195547&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、大丸城の跡地周辺の空中写真です。昭和23年(1948)3月8日に米軍により撮影されたもので、わかりやすいように大丸城跡が写真の中央となるように切り取っています。この当時すでに遺構がはっきりと見て取れるような状況で、見方によってはこの山自体が古墳跡に見えなくもないですよね。笑。


「大丸城跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)」

 大丸城跡は、中世に築かれたとされる、山頂部に主郭を置く山城です。城自体は見張り台程度の規模の山城で、南北朝時代から戦国時代頃に使われたことが明らかとなっています。
 また、大丸城跡とともに特に重要とされるのが、奈良時代の瓦窯跡です。城跡の斜面から、奈良時代の瓦や須恵器を焼いた登窯が15基発見されており、武蔵国分寺や国府に使われた瓦の一大生産地であったことが明らかになっているようです。


「大丸城跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)」

 城跡の周辺を散策していて偶然目に留まった、鳥居の奥に祠が祀られているという塚状のマウンドです。
 視界に入って立ち止まった瞬間に、土地の所有者か関係者と思われる方が、家から出てきたところですれ違ったので、すぐにお願いして写真を撮らせていただきました。(私はこういうところは意外といつも運が良いのです。。。)
 遺跡は、宅地造成により台地ごと削られていると思われ、古くから存在する塚であるとは考え難いところで、もちろん古墳である可能性は考えられませんが、かつて所在したとされる横穴墓や経塚と何か関係があるのか、詳細はわかりませんでした。
 経塚・墓跡は3基が発見され、蔵骨器や経筒が出土しています。また、室町時代以降に他所から運ばれて再配置されたという板碑が、3群から計83枚、発見されています。


「大丸城跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)」

 この遺跡内には少なくとも古墳は存在しなかったようですが、多摩川流域に位置する稲城市内に本当に高塚古墳が存在しなかったのか、とても気になるところです。

 画像は、帰り道に見かけた庚申塔です。神社や、郷土資料館等に移設されることなく、こうして路傍に残されているあたりは、さすが稲城市!という感じですね。東京もまだ、捨てたもんじゃないんです!

<参考文献>
稲城市教育委員会『稲城市の歴史と文化財』
現地説明板


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  1. 2018/02/22(木) 01:10:59|
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