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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「鵜ノ木奥島天神の森遺跡」

「鵜ノ木奥島天神の森遺跡」

 「鵜ノ木奥島天神の森遺跡」は、西蒲田1丁目に所在したとされる塚です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号192番の”時代不明の墳墓”として登録されています。

 大田区教育委員会より発行された『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』によると、画像の大城通りの右側、病院の建物の後ろ側に所在したと伝えられているようですが、周辺は宅地化されて塚は消滅しており、痕跡は残されていないようです。

<参考文献>
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/10/16(金) 23:38:47|
  2. 大田区/その他の古墳・塚
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「月輪霊神塚」

「月輪霊神塚」

 「月輪霊神塚」は、西蒲田6丁目に所在したとされる、『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。

 この塚については、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に詳しい記述を見ることが出来ます。


月輪霊神社 村民甚五左衛門の構のうちに、竹木生茂りたる古塚あり、相伝ふ此塚は本家八郎右衛門の先祖月村宗観の墳墓なり、安永七年塚上に社を建て、私に月輪霊神と祟めたりと、其時の棟札に月輪氏入道天正三乙亥歳八月二十八日、勧請年月安永七戌稔八月二十八日云云とあり、此文の意解しがたし、案に村民八郎右衛門が所持の三宝祖師の像は、入道宗観逆修の為につくりしとて、其年月をしるせしも、この棟札と同じ、これによれば宗観の卒年の定かならずして、ただ其ありし世のことを伝んがために、同じ年月をしるし置しならんと土人もいへり、さもありにしや、或は云宗観、実は月輪氏にて、ゆゑある人の支族なり、乱をさけ民間にかくれしとき、しばらく月村を氏とす、故に神に祀るに及て、実の氏を神号 とせるなりと、されど其たしかなる事をきかず、

 塚の跡地とされているのは画像の右手前あたりであるようです。かなり密集して存在したとされる、「女七塚」と呼ばれた7基の塚群からかなりの近距離にあり、このうちの1基である「白旗明神塚」の跡地(画像の右奥、現在の大田区立西蒲田相生児童公園)からは西に数十メートルほどの存在します。この塚も古墳であった可能性もあるのではないかとも考えましたが、言い伝えから考えると後世の塚であったのかもしれません。残念ながら跡地とされる周辺はすでに宅地化され、塚の痕跡を見ることは出来ません。。。

<参考文献>
東京都大田区『大田区史 資料編 地誌類抄録』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』


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  1. 2015/10/14(水) 23:26:28|
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「星谷明神塚」

「星谷明神塚」

 「星谷明神塚」は、西蒲田5丁目に所在したとされる塚です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号193番の”時代不明の墳墓”として登録されています。

 画像は、「星谷明神塚」が所在したとされる西蒲田5丁目(旧内人耕地200番地)周辺のようすです。この塚も、「女塚七塚」と称されていた7基の塚のうちの1基で、古代に築造された古墳だったのではないかとも考えられているようですが、埋葬施設や出土品の伝承はなく、塚は宅地化により削平されて消滅しているため、どういう性格の塚であったか詳細はわかりません。
 大田区教育委員会より発行された『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』によると、この塚の名称にある「星谷」とは人名で新田氏の家臣であり、この塚に祀られていた明神はその祖先を祀ったものではないかと考えられているようです。また旧八幡塚村には「新田義興の家臣畑某の自害せしところ」であるという「畑明神社」がありましたが、この星谷家は義興以前に女塚村に入植土着したのではないかとも推測されています。
 画像の西蒲田5丁目10番地周辺が塚の推定地であると思われますが、塚の痕跡を見ることは出来ず、正確な跡地を特定することは出来ませんでした。。。


「村山明神塚」

 画像は、西蒲田6丁目に所在する「女塚神社」を東から見たところです。七塚のうちの白山明神を除く六社(自従大明神を含む)と八幡社が合祀されて現在の八幡社となっており、つまりは「星谷明神」もこの神社に合祀されているということになるようです。

<参考文献>
蒲田町史編纂會『蒲田町史』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/10/12(月) 23:56:45|
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「村山明神塚」

「村山明神塚」

 「村山明神塚」は、大田区西蒲田5丁目に所在したとされる塚です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号194番の”時代不明の墳墓”として登録されています。

 画像は、「村山明神塚」が所在したとされる西蒲田5丁目(旧川田429番地)周辺のようすです。この塚も、「女塚七塚」と称されていた7基の塚のうちの1基で、古代に築造された古墳だったのではないかとも考えられているようですが、埋葬施設や出土品の伝承はなく、塚は宅地化により削平されて消滅しているため、どういう性格の塚であったか詳細はわかりません。
 大田区教育委員会より発行された『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』によると、この塚の名称にある「村山」とは人名で新田氏の家臣であり、この塚に祀られていた明神はその祖先を祀ったものではないかと考えられているようです。また旧八幡塚村には「新田義興の家臣畑某の自害せしところ」であるという「畑明神社」がありましたが、この村山家は義興以前に女塚村に入植土着したのではないかとも推測されています。『地図でみる大田区』にはこの周辺に「村田」の記名があり、塚の名称の「村山」は「村田」ではないかと指摘していますが真相はわからず、現在は「村山明神塚」の名称が付けられています。
 画像の、現在の西蒲田5丁目12番地周辺が塚の推定地であると思われますが、塚の痕跡を見ることは出来ず、正確な跡地を特定することは出来ませんでした。。。


「村山明神塚」

 画像は、西蒲田6丁目に所在する「女塚神社」を東から見たところです。七塚のうちの白山明神を除く六社(自従大明神を含む)と八幡社が合祀されて現在の八幡社となっており、つまりは「村山明神」もこの神社に合祀されているということになるようです。

<参考文献>
蒲田町史編纂會『蒲田町史』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/10/11(日) 21:48:51|
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「白山明神塚」

「白山明神塚」

 「白山明神塚」は、大田区西蒲田5丁目に所在したとされる塚です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号195番の”時代不明の墳墓”として登録されています。

 画像は、「白山明神塚」が所在したとされる西蒲田5丁目(旧内人耕地218番地)周辺のようすです。この塚も、「女塚七塚」と称されていた7基の塚のうちの1基で、古代に築造された古墳だったのではないかとも考えられているようですが、埋葬施設や出土品の伝承はなく、塚は宅地化により削平されて消滅しているため、どういう性格の塚であったか詳細はわかりません。
 大田区教育委員会より発行された『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』ではこの塚に祀られていた祠の由来について、「これだけは新田氏と特別の関係はないかもしれない。昭和50年頃まで西蒲田5-12と13の接するところに白山橋があり、その東西に走る道を白山橋通といったが、橋が架かっていた流れは前記女塚川の改修後の溝である。この橋は中世にもあって、その頃は薭田神社方面へ通ずる重要な交通路であり、ここに橋の番人がいて、白山明神はその人たちの守護神で橋の付近にあったのではないか?今橋は暗渠になって橋はない。」と書かれています。現に、他の六社は八幡社と共に合祀されて女塚神社となっているのに対してこの白山明神は独立した1祠となっており、これも新田氏と特別の関係がないとする根拠の一つでもあるようです 。


「白山明神塚」

 画像は、現在の白山神社を東から見たところです。この神社の土台となっているマウンドが、大田区の遺跡番号94番に登録されている「女塚古墳」ということになります。ひょっとしたら、元々この場所にあったといわれる「自従大明神」はかつて「女塚古墳」のマウンドの上にあったが、七塚のうちの白山明神を除く六社(自従大明神を含む)と八幡社が合祀されて現在の八幡社となり、その後「自従大明神」が鎮座していた「女塚古墳」のマウンドに「白山明神」が移されてきた、ということではないかと思われますが、かなりややこしいですね。


「白山明神塚」

 画像が、「女塚古墳」の墳丘上にある「白山明神」の祠です。
 女七塚の中で唯一残された明神様ということになるでしょうか。。。

<参考文献>
蒲田町史編纂會『蒲田町史』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/10/10(土) 01:56:37|
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