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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「柿生郷土史料館」

「柿生郷土史料館」

 最近、小田急線柿生駅近くにある、柿生郷土史料館に見学に行ってみました。
 実は、川崎市の古墳や塚は6〜7年前頃にコツコツ巡ってみた時期があったのですが、見落としてしまっていた遺跡も多く、その後なんとなくそれっきりになってしまっていて、この『古墳なう』でもあまり取り上げていませんでした。
 この日は、当時見落としていた「早野横穴墓群」と、整備が行われたという町田市の「西谷戸横穴墓群」を見学しよう!ということで、その前にまず立ち寄ってみたのが、この「柿生郷土史料館」です。
 ろくに調べないで向かってしまったのですが、なんと柿生中学校という中学校の中にあるのですね。場所がわからずに多少ウロウロしてしまったのですが、学校の入り口に小さな看板が設置されています。(よく見ろよ、と)


「柿生郷土史料館」

 開館しているのが土曜日か日曜日のみというのは、史料館が校舎の中にあるが理由なのかもしれませんね。無駄に予算をかけて毎日開館するよりも、これでいいのかも?とも思います。入っていいんすか?とちょっと躊躇しましたが。笑。
 当日は、校庭で大会か練習試合が行われていて、かなり活気のある印象でした。史料館に向かって校舎内を歩いているときに、小さな女子生徒が背後からテテテッと走ってきて「こんにちはっ」と声をかけてくれて、あ、きっと明るい校風で、教育が行き届いているいい学校なんだろうなあと感じます。。。


「柿生郷土史料館」

 室内はきれいに整備されています。地元の郷土資料等の書籍も充実していました。
 今、中学生に戻れるならここに通いたいかも。笑。。。


「柿生郷土史料館」

 古墳時代の遺物は多くはありませんが、土師器や須恵器が展示されていました。

 以下、次号の「早野横穴墓群」へ続く。。。


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  1. 2018/12/02(日) 23:07:48|
  2. 神奈川県川崎市の古墳・塚
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「下石神井御嶽神社」

「下石神井御嶽神社」

 画像は、練馬区下石神井4丁目にある「下石神井御嶽神社」です。
 この神社の創建年代は不詳とされているようですが、木曽御嶽講に入った当地の石塚平左衛門(天保六年歿)が分霊を祀ったのが始まりと言われています。御嶽神社の祭神は、国常立命・大己貴命・少彦名命で、本殿は明治30年、拝殿は大正11年の建築されています。神紋は一山系笠印の富士に丸三紋と、十六弁菊花紋です。
 御嶽神社社殿と一山神社の間には御嶽山に見たてたという塚が所在します。


「下石神井御嶽神社」

 画像が、本殿奥に所在する御嶽塚です。3体の石の祭神像が祀られており、霊神碑や中興の先達一山・忠明の顕彰碑なども建てられています。石塚忠明によって組織されたという「一山講」ニには、誠時には1800人もの講員があったそうです。
 西側には、東京都道444号下石神井大泉線が南北に走っており、私もかつてはよく利用した道路なのですが、西武新宿線の踏切で渋滞が発生して、混み合うこともよくある場所です。
 境内にはケヤキやスダジィ、シラカシ、ムクロジなどの大樹が茂り、静寂が保たれているようです。。。


「下石神井御嶽神社」

 塚の頂部のようす。
 かつて、例祭には戦前まで火渡りの行事が行われていたそうです。。。

<参考文献>
練馬区教育委員会『練馬の神社』


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  1. 2018/11/23(金) 23:31:58|
  2. 練馬区の古墳・塚
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「練馬区№124遺跡」

「練馬区№124遺跡」

 画像は、練馬区豊玉南2丁目の「氷川神社」を南から見たところです。
 この神社は、創建時期は不詳であるようですが、武蔵国一宮氷川神社の御分霊を奉斎したと伝えられています。練馬区教育委員会より発行された『練馬区の神社』によると、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』の中荒井村の項に「氷川社、村の鎮守なり。例祭9月18日。正覚院持。末社牛頭天王、天神、稲荷」とあり、また『東京府志料』には「創建詳ならず。明治5年11月村社となる」、『北豊島郡誌』には「境内老樹林立し風向佳なり、当社の神木老杉は付近に有名なる大木にて包三囲に余れり、外に大杉樹2株社殿の後にあり」と書かれています。社伝によると、この杉が古損のため昭和12年と同20年に伐採された際に、年輪が各700年、600余年を数えたことから、氷川神社の神域が鎌倉時代の開創であるこ とを物語るとされているようです。
 神社の創建は不詳ながらも武蔵国一の宮氷川神社の分霊の社と伝え、現在境内社の北野神社が最も古く主神、次いで須賀神社が主神となり、その後、時期は明らかでないものの氷川神社が主神になったとされています。


「練馬区№124遺跡」

 氷川神社境内のようす。
 社殿は須賀神社の上屋が本殿となっており、昭和3年の建築です。その際に、元の拝殿は移築して神楽殿となっています。この旧拝殿は江戸時代後期の建築で、昭和59年に新神楽殿が造られると、絵馬堂として使われ、今は「額殿」と呼んでいるそうです。 


「練馬区№124遺跡」

 『東京都遺跡地図』によると、この氷川神社の境内一帯は「練馬区№124遺跡」として登録されており、さらに環七沿いに、「近世の塚」であるとされる「練馬区№124遺跡」が登録されています。
 この塚については、記述のある文献が見当たらなかったので詳細がわからないのですが、『練馬区史 歴史編』には、まず№123遺跡について「中新井川左岸台地にある遺跡で、遺跡地の大部分は環状七号線になっているものと思われる。滝沢浩氏は縄文時代前期の諸磯C式、小田静夫氏は勝坂式を指摘しており、それぞれ地点を異にするが、複合遺跡として取りあつかうことができよう。」とのみ書かれており、№124遺跡(塚)については何もふれられていません。
 画像が、おそらくこれではないかと思われる塚状の地形です。環七沿いの歩道から見ることのできる場所なのですが、神社の境内からは立ち入り禁止となっているので、近くまで行くことはできません。あとから考えると、果たしてこれが124番の塚であるのかどうか、自信がなくなってきたのですが(笑)、少なくとも古墳とはあまり関係がなかったかもしれませんね。。。


「練馬区№124遺跡」

 ちょっと変わったところでは、鳥居をくぐった左側に「ビール麦 金子ゴールデン発祥の地」と刻まれた石碑が建てられています。この石碑の横の説明板には次のように書かれていました。

 江戸・東京の農業 ビール麦の金子ゴールデン
 わが国のビール麦栽培は外国から導入された品種によって始められました。
 最初に導入されたのは江戸時代末期といわれていますが, 本格的に導入されたのは明治に入ってからで, 政府が勧業の一策として諸外国から穀類の種子を導入し, 試作を進めました。
 当時, 輸入された中には大麦も多く, 明治20年(1887)にはゴールデンメロン(米国)の名が記録されています。
 北豊島郡中新井村(現在の練馬区豊玉)の金子丑五郎が明治33年(1900)、六条大麦の四国とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から「金子ゴールデン」を育成しました。
 早生で草丈が低いため成熟しても倒れにくく, 一時, 関東一円に栽培が広がりました。この品種を親にエビス1号、ニューヨークゴールデン、アズマゴールデン、ふじ二条等の優良品種が育成され, 初期のわが国ビール醸造に大きく貢献しました。

 私、ビールは大好きなんですけどね。
 練馬でビール醸造のための麦が育てられていたなんて、知らなかったなあ。。。

<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史 歴史編』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明版


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  1. 2018/11/20(火) 23:15:11|
  2. 練馬区の古墳・塚
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「練馬区No.95遺跡」

「練馬区No.95遺跡」

 画像は、練馬区貫井5丁目にある「須賀神社」を南から見たところです。
 牛頭天王、須佐之男命を祭神とするこの神社の一帯は、縄文時代前期の遺跡の包蔵地として知られており、『東京都遺跡地図』には「練馬区No.95遺跡」として登録されています。実はこの神社の境内には、人為的に盛られたのではないかと考えられる塚が存在するということで、この塚の見学を一番の目的としてこの須賀神社に参拝に訪れました。


「練馬区No.95遺跡」

 画像は南から見た須賀神社境内のようすです。この画像では見えにくいのですが、社殿の背後にマウンド状に盛り上がっている塚状の地形が存在します。この塚についての詳細な記述が見られる文献はあまり多くは見つからなかったのですが、『練馬区史 歴史編』の、この遺跡についての記述の中に、塚についてわずかにふれられており、次のように書かれています。

 石神井川右岸の、貫井小支谷の右岸縁辺に位置し、新・旧道路が複雑に入り込んでしまったため、旧地形はほとんど残っていない。№95遺跡は№85・90遺跡に連続する集落跡と理解される。滝沢浩氏はこの地点で縄文時代早期の茅山式土器を採集し、遺跡地と確認された。
 昭和五五年九月四日に踏査したが、三叉路に狭まれた高台(道路の切通しのため、旧地形の残存はこのように感じられる)に須賀神社が位置し、神社裏側には塚が残存している。
 塚にはかつて杉の大木がそびえていたらしく、大きな切株がみられた。神社と塚の周辺で縄文時代早期の土器が三片採集できた。

 この文献からは、塚の性格について知ることはできないようです。
 果たしてこの塚が古墳である可能性はないのでしょうか。。。


「練馬区No.95遺跡」

 画像は、社殿の南側から見た、塚の様子です。
 塚の南側が須賀神社の社殿となっており、西側はマンションに、西側と東側は宅地として開発が進んでおり、塚の全貌を写真に収めることは難しい状況です。


「練馬区No.95遺跡」

 南西から見た塚のようすです。
 図書館で調べた限りでは、この塚の発掘調査の記録は見つけることができなかったので、これ以上の詳細はわかりません。開発の進んだ住宅地に残された、とても気になる塚でした。。。


「練馬区No.95遺跡」

 すが神社の参道前には、「清戸道」と刻まれた石碑と、練馬区教育委員会による説明板が建てられています。
 残念ながら、社殿の背後にある塚についての記述は見られないようです。
 説明板には次のように書かれています。

 清 戸 道
 清戸道は、練馬区の東端から西端まで延長
約十五キロメートル。区のほぼ中央を横断し
テイル道路です。この道を東に行くと目白駅
を経て江戸川橋に達し、西に行けば、保谷、
東久留米を経て清戸(清瀬市)に着きます。大
泉から先、清瀬までの道筋は幾とおりにも分
岐していきます。
 練馬の村々から江戸に出るためには、この
道を通るのが最も近道でした。江戸時代から
練馬のお百姓さんは、朝早く野菜をもって町
に向い、昼頃には下肥を運んで帰ってきまし
た。その下肥を、中農以上の百姓は馬の背で、
それ以下の百姓は天秤棒で運びました。この
ように清戸道は、農産物輸送の重要な道路で
した。
 明治、大正時代には、大八車が発達し、目
白坂には、車の後押しをして金をもらってい
た「立坊」がいたのも有名な話です。金輪の
はまった車の音は、静かな夜明け前の空気を
震わせていたことでしょう。
 平成十三年一月
            練馬区教育委員会


<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史 歴史編』


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  1. 2018/11/16(金) 18:14:11|
  2. 練馬区の古墳・塚
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「入定塚」

「入定塚」

 練馬区貫井5丁目に所在するのが「入定塚」です。
 『東京都遺跡地図』には未登録の塚で、路上から見学したところでは「塚」らしきマウンドは存在しないようですが、個人の民家の敷地内には入定塚の石碑が残されています。

 伝承によると、ある旅僧が止宿した際に自ら石を刻み、それが完成すると「これで全ては終わった」と村人に頼んで自分の身体を土中に埋めてもらったそうです。それから七日目、それまで聞こえていた鉦の音がぱったりと止まり、大往生を遂げました。なんとその日は、旅僧が石碑に刻んだ延享五年(1748)四月二十三日であったといわれています。
 入定塚の伝説は東京都内でも各地に残されているようですが、僧が自ら石碑に刻んだ日に大往生を遂げるとは、とても興味深いお話ですよね。。。

 この塚を見学に訪れた日に、土地の所有者のお宅をピンポンしてみたのですが、残念ながらご在宅である様子がなく、石碑の撮影の許可を得ることができませんでした。石碑の写真は、いつかまた近くを訪れるときまでの宿題ということで、乞うご期待。。。

<参考文献>
練馬郷土史研究会『練馬区の歴史』


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  1. 2018/11/14(水) 00:58:58|
  2. 練馬区の古墳・塚
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