古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「下沼部狐塚1・2号墳」

「下沼部狐塚1・2号墳」

 『東京都遺跡地図』には、「下沼部狐塚1・2号墳」という名称の古墳が大田区の遺蹟番号28番の遺蹟として登録されており、”2基の円墳”として赤い色の残存マークが付けられています。多摩川左岸の段丘縁辺部からは少し離れた場所にあるこの古墳は、実はとても気になる存在なのですが、『東京都遺跡地図』以外に記述のある文献を見つけることが出来ず、発掘調査が行われたという記録もなく、また遺物などの伝承も残されていないようです。
 実際に、所在地とされる(大田区遺跡地図』に掲載されている)大田区田園調布2丁目周辺を歩いてみたのですが、すでに開発が進んだこの地域はびっしりと民家が建ち並んでいて、古墳が残されるようなスペースは存在しないようにも思えます。大田区内の古墳や塚を調べていて一番詳細不明であったのがこの「下沼部狐塚1・2号墳」です。

 遺蹟番号28番という若い番号であることから考えて遺蹟地図に登録された時期が古く、この古墳の記録が存在するとすればかなり古い文献ではないかと考えたのですが、調べてみると遺蹟地図に登録されたのは平成7年(1995)と比較的近年であることがわかりました。例えばこの地に古墳が存在したという古老の証言が得られたとか、この古墳の存在を証明する古い文献が発見されたとか、『東京都遺跡地図』に登録されるにはそれなりの理由があると思うのですが、この古墳に関しては詳細がまったくわかりませんでした。

 画像は、下沼部狐塚の所在地とされる田園調布2丁目周辺のようすです。
 この古墳に関しては、機会を見つけてまだ調べてみようと思っているので、詳細がわかり次第、書き加えようと思います。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/08/06(日) 23:56:50|
  2. 田園調布古墳群
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「西岡第47号古墳(修道院構内古墳)」

「西岡第47号古墳(修道院構内古墳)」

 「西岡第47号古墳」は、大田区田園調布3丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には、大田区の遺跡番号36番の古墳(円墳)として登録されています。
 画像は、この西岡第47号古墳の跡地を南東から見たところです。古墳はすでに削平されて完全に消滅しており、跡地は修道院の駐車場として舗装されています。痕跡は全く残されていないようですが、この地点が47号墳の所在地となるようです。


「西岡第47号古墳(修道院構内古墳)」

 この古墳は、西岡秀雄氏により行われた荏原台古墳群の分布調査により把握されており、この調査報告が掲載されている「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』には次のように紹介されています。

第四十七號古墳 
(所在位置)舊地名 東京都荏原郡東調布町大字下沼部字潮見臺
      新地名 東京市大森區田園調布三丁目143
(型式)圓型墳
(現況其の他)雑木林中にある。未發掘。高さ約二•五米。
(『考古学雑誌 第26巻 第5号』310ページ)

 この調査当時はまだこの敷地が雑木林で、この林の中に古墳が残されていたことがわかります。さらに、昭和11年に発行された『東京府史蹟名勝天然記念物調査報告所 第13冊』にもこの古墳の記述が見られ、次のように書かれています。

六 修道院構内古墳
 前に述べた龜甲山北に連なる小圓墳群と谷を隔てて、其の東にある丘陵上にも、若干の古墳があつたのであらうが、今はその一つが、舊稱下沼部汐見臺上の修道院構内に殘つてゐる。比較的よく原形を遺存し、平面形が圓形に近い。(北側が道路で切られてはゐるが)高さは現在三米に過ぎないが、原形に於いては更に五十糎を增して三米五十糎位を數へ得られるであらうし、直徑は三十米もあつたであらうか。
 墳丘面に礫石の多く散布してゐるのは葺石とも見るべく、土器片も多少散在してゐる。
(「東京府下の古墳」『東京府史蹟名勝天然記念物調査報告書 第13冊』17ページ)


 そしてその後、昭和60年(1985)に東京都教育委員会より発行された『都心部の遺跡』には次のように書かれています。

 65 西岡47号墳
  大田区 36 大田区田園調布3-43
①台地上
②聖フランシスコ修道院
③一部残存
④円墳(復元径30m)
⑥土器片
⑦65・121
⑧墳丘は広場整地のため昭和31年頃に削平された。
 現在は墳丘の一部がわずかに残る。修道院に古墳
 を背景とした記念写真(昭和12年)がある。(後略)
(『都心部の遺跡』133ページ)



「西岡第47号古墳(修道院構内古墳)」

 『東京府史蹟名勝天然記念物調査報告書』には昭和初期の古墳の写真とともに測量図が掲載されており、また『都心部の遺跡』にも、昭和12年(1937)に撮影されたという聖フランシスコ修道院所蔵とされる古墳の写真が掲載されています。昭和初期まではこの47号古墳は間違いなく存在していたようですが、その後、聖フランシスコ修道院の広場整地のため削平されて消滅しています。


「西岡第47号古墳(修道院構内古墳)」

 画像は、聖フランシスコ修道院内のルルドの中庭に立てられているマリア像です。実は、以前にこの西岡第47号古墳を掲載した際には、このマウンドが古墳であると勘違いして紹介してしまいました。『都心部の遺跡』には、「墳丘は広場整地のため昭和31年に削平された」としながらも「現在は墳丘の一部がわずかに残る」とも書かれていたことから、このマリア像のマウンドが古墳の残存部分であると思い込んでしまったのですが、その後も何か変だなと納得いかない部分があって、ずっと調べていました。
 『東京府史蹟名勝天然記念物調査報告書』の「北側が道路で切られている」という記述や、掲載されている測量図の古墳の形状からしても、現在の修道院駐車場の周囲の地形と照らし合わせてつじつまが合います。また、あらためて訪れた際に、修道院内で当時を知る古老の男性からお話をお聞きできたのですが、やはり古墳は現在の駐車場のあたりに所在したようです。万が一、私の記事を信じて古墳を見学に訪れた人がいたとしたら、大変申し訳ないです。。。

 ということで、マリア像のマウンドは47号墳とは無関係ということになりますが、このマウンドが47号墳とは別の、元々存在した古墳を流用したという可能性も有り得るのではないかと考えましたが、これは全く情報が見つからず、真相は不明です。。。

 当日は修道院の受付の方に声をかけて写真を撮らせていただきました。ありがとうございました。

<参考文献>
西岡秀雄「荏原台地に於ける先史及び原始時代の遺跡遺物」『考古学雑誌 第26巻 第5号』
東京府「東京府下の古墳」『東京府史蹟名勝天然記念物調査報告書 第13冊』
東京都教育委員会『都心部の遺跡 1985』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/08/05(土) 01:03:43|
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「浅間神社古墳」

「浅間神社古墳」

 画像は、大田区田園調布1丁目にある「多摩川浅間神社」を南東から見たところです。
 この神社は、多摩川台公園に残存する「多摩川台古墳群」や「亀甲山古墳」と同じ舌状台地上に立地しており、この舌状台地の東南の先端にあたります。社殿は古くから古墳の上に建てられていると伝えられており、『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号2番の古墳として登録されています。

 浅間神社は、八百年程前の創建と伝えられています。鎌倉時代の文治年間(1185~90)、豊島郡滝野川へ出陣する夫、源頼朝の身を案じた妻の北条政子は後を追ってこの多摩川のほとりまで来ましたが、わらじの傷が痛み出したことからやむなく多摩川湖畔で傷の治療をすることになったといいます。この際、政子は亀甲山へ登ってみると、富士山が実に鮮やかに見えました。富士吉田には自分の守り本尊である「浅間神社」がありることから、政子はその浅間神社に向かって夫の武運長久を祈り、持仏の「正観世音像」をこの丘に祀ったことが、この多摩川浅間神社のおこりであるといわれています。
 浅間神社は、江戸時代の地誌類にも記述が見られ、『新編武蔵風土記稿』には「浅間社 除地、小名堀廻しの西の方二十四五歩ばかりの山上にあり。勧請の年歴等も詳ならず。祭礼は六月朔日なり。東光院野も地なりと云。石龕 山の上中央の所にあり一尺五寸四方、高さ三尺東向なり。本尊正観音は銅佛立像にて長八尺許、相傳此像は古佛にして此所へ垂跡ありし年代も詳ならず。一年洪水ありし時風雨ことに烈しくして社内も破壊せしかば、尊像の所在を失ふ…」と書かれています。


「浅間神社古墳」

 画像の二之鳥居の奥の石段周辺には多数の溶岩が置かれており、「富士塚」に近い形態となっているようです。石段の途中には、富士講に関係する石碑や、勝海舟により文字が書かれたという「食行身禄石碑」などが建てられています。この石段を登った、浅間神社社殿の場所が古墳となります。


「浅間神社古墳」

 思えば北条政子は、前方後円墳である亀甲山古墳の墳丘上で夫の武運長久を祈り、やはり前方後円墳である浅間神社古墳の墳丘上に観世音像を祀ったわけで、なかなか興味深いお話です。どうして亀甲山古墳に祀らなかったのだろうと素朴な疑問を持ってしまいますが、ちなみに、消滅した「扇塚古墳」の墳丘上に祀られていたという稲荷神社もこの浅間神社に合祀されたと地元の人からお聞きしたのですが、この浅間神社はよくよく古墳に縁の深い神社かもしれませんね。


「浅間神社古墳」

 画像は、南東から見た浅間神社境内のようすです。古くは、社殿の位置を後円部として、神社参道側に前方部を向ける前方後円墳ではないかという想定が定説とされていたようですが、二度にわたる発掘調査により定説とは逆の、社殿裏から東横線にかけて前方部が存在する前方後円墳であることがわかっています。
 墳丘はこれまでの社殿改築等によりすでに削平されており、古墳が築造された当時の墳丘盛土は検出されなかったことから詳細は分からないようですが、埴輪片(円筒埴輪・朝顔形埴輪・人物埴輪・動物埴輪)が検出されており、特にくびれ部と想定される周辺からは多量に発見されているようです。また、主体部や周溝も検出されていないようですが、地下レーダー探査により、神社参道側の地中に周溝と考えられる存在が確認されているようです。


「浅間神社古墳」

 神社社殿周辺のようすです。社殿の位置が後円部で、右奥に向けて前方部となるようです。古墳の規模は、後円部の直径は32mほどで、全長60mほどの、一段築成の前方後円墳であると推定されており、5世紀末から6世紀初頭の築造と考えられているようです。
 埋葬施設は、大正4年の社殿建設と昭和48年の社殿改築で後円部が削平された際には横穴式石室が発見された形跡はなく、竪穴系の粘土槨か木棺直葬、もしくは礫槨であった可能性が想定されているようです。また、前方部にも埋葬施設が存在したのではないかとも考えられているようです。
 墳丘が残存しないにもかかわらず、調査によりここまで推定できるプロの学芸員の先生はやっぱりすごいですね。。。


「浅間神社古墳」

 画像は、多摩川駅構内から見た浅間神社古墳周辺のようすです。ちょうど東横線が走っている切り通しの部分が前方部、左側の小山が浅間神社の所在地で、後円部の跡となります。右側の台地が多摩川台公園の所在地で、その先には亀甲山古墳や多摩川台古墳群が存在します。


「浅間神社古墳」

 発掘調査以前に出土した馬形埴輪、鹿形埴輪、人物埴輪は浅間神社に所蔵されており、このレプリカが多摩川台公園内の古墳展示室に展示されています。
 左側は、動物形埴輪の中でも最も出土例が多いとされるもので、全長1.5〜2m程に復元されると推定されています。
 右側の鹿形埴輪は、鹿が食料として狩猟され、また角が道具や装身具の材料となっていたことから神聖な動物として尊ばれ、埴輪のほか、弥生土器や銅鐸にも多く描かれていたようです。


「浅間神社古墳」

 画像は、同じく古墳展示室に展示されている人物埴輪(男子)のレプリカです。額の両側に見える何かがはがれた跡は、「美豆良」という、古代に男子にだけが表現する結髪であるようです。また、頭上の径2cm程の孔は冠等がはめ込まれていたと推定されているそうです。


「浅間神社古墳」

 展望台からは、遠く川崎方面まで見渡すことができます。
 日常の小さな悩みなど吹っ飛んでしまって、清々しい気持ちになります。
 現代に立ち並ぶ高層ビル群も美しい景観ですが、古代の眺めはどんなだったんだろう。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『都心部の遺跡 1985』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
浅間神社古墳遺跡調査会・東京急行電鉄株式会社『浅間神社古墳』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』
大田区立郷土博物館『大昔の大田区』


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  1. 2017/08/03(木) 00:40:52|
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「浅間神社北古墳」

「浅間神社北古墳」

 『東京都遺跡地図』には、大田区田園調布1丁目の多摩川台公園東端に、「浅間神社北古墳」という名称で、大田区の遺跡番号155番の古墳(円墳)が登録されています。画像はこの浅間神社北古墳を北西から見たところです。

 浅間神社北古墳は、昭和62年(1987)に行われた東京都教育委員による分布調査により把握された古墳です。「浅間神社古墳」とは、東横線の切り通しを挟んだ多摩川台公園側のアジサイ園に所在しており、埴輪が採集されたことから、浅間神社古墳とは別の単独の古墳が存在するものと考えられていました。このマウンドの地形図の等高線は方形に巡っていることから、円墳のほかに方墳の可能性も考えられていたようです。
 その後、浅間神社古墳の第一次調査により、浅間神社古墳の前方部がそれまで考えられていた南側(神社の参道側)ではなく、北側(東横線の切り通し側)を前方部とする前方後円墳である事が判明します。この結果により、浅間神社北古墳は浅間神社古墳の前方部の全面に相当する可能性も想定されたようです。
 しかし、さらにその後の第二次調査の結果、このマウンドが浅間神社古墳の前方部である可能性はきわめて低く、東横線の切り通し工事によって削られた前方部の一部が土砂とともにこの位置まで流入したか、もしくは実在した北古墳が削平された際に墳丘盛土が押し流されたかのどちらかであると考えられているようです。ただし、浅間神社古墳と浅間神社北古墳の埴輪が同一のものである可能性が高いことから、浅間神社古墳の削られた前方部の一部が土砂とともに流入したという説が有力であるようです。

 同じ田園調布古墳群の、かつて古墳ではないかと考えられていた「多摩川台古墳群 旧8号墳」は、切り通し道路の残土により形成された高まりで、古墳ではないことがわかっていますが、この北古墳のマウンドは少なくともかつては古墳の墳丘を構築した残土である可能性が高く、「元古墳」であると考えるとそれなりに愛おしく見えてくるから不思議ですね。(うん。やっぱり私は病気です。笑。)

<参考文献>
東京都教育委員会『都心部の遺跡 1985』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
浅間神社古墳遺跡調査会・東京急行電鉄株式会社『浅間神社古墳』


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  1. 2017/08/02(水) 01:14:45|
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「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 「亀甲山古墳(かめのこやまこふん)」は、東京都大田区田園調布1丁目の多摩川台公園内に所在する古墳です。多摩川下流域左岸の舌状台地上に築造されており、昭和3年(1928)には国の史跡に指定されている、荏原台古墳群中最大の前方後円墳です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号35番の古墳として登録されています。

 画像は、多摩川を挟んだ対岸の川崎市側、南西から亀甲山古墳を見たところです。この古墳は、横から見た形が亀に似ていることから「亀甲山古墳」の名称がつけられたといわれています。墳丘上には樹木が生い茂っており、古墳の形状をはっきりと見ることはできないのですが、森の形からうっすらと亀に似ているとされる前方後円墳の形状を見ることが出来ます。
 古墳は、後円部の裾の一部が浄水場建設工事により削平されており、また前方部も一部削平されているほかは、原形をよく留めているようです。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 画像は、亀甲山古墳の後円部を南東から見たところです。手前に見えるのは、大正7年から昭和42年まで、多摩川の水をくみ上げて浄化して周辺地域に水道水を供給していたという「調布浄水場跡」です。浄水場により後円部の裾の一部が削平されています。
 亀甲山古墳については、古くは江戸時代の地誌類に記述を見ることが出来ます。『新編武蔵風土記稿』の下沼部村の亀塚の項には「浅間の西にあり、土人亀塚山といふ、浅間山より少しく高し、されど其事跡をつまびらかにせず、上沼部村亀塚の条合せ見るべし云々、」とあり、上沼部村の亀塚の項には「村の東の方にあり、小山のごとくたてり、又下沼部村にも一所あり、名づけて雌亀雄亀と云、ただかたちの似たるを以て云にや、その故を詳にせず、古くは御放鷹の節御立場になりしこともありと云、百姓弥右衛門の持なり、」と書かれています。同書ではこの亀甲山古墳を「亀塚」、「亀塚山」と記述しており、また宝萊山古墳とこの亀甲山古墳を合わせて「雌亀雄亀」と呼んでいるあたりは、興味深いところです。
 また、『玉川辺亀ノ甲山江右大将様御成記録』という徳川十二代将軍家慶が亀甲山に御上覧された記録が書かれている文献には、亀甲山古墳の名称に「亀ノ甲山」と「ノ」のルビがふられていることから、亀甲山は江戸時代当時から「かめのこやま」と呼ばれていることがわかっています。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 画像は南から見た亀甲山古墳です。右手前が後円部で、左奥が前方部です。わずかにくぶれ部の形状を見ることが出来ます。
 昭和62年(1987)から平成元年(1989)にかけて測量調査が行われており、築造当時の墳丘長は107.25m、後円部径66m、前方部幅49.5m、後円部高11.75m、前方部高7.63m全長107.25m、前方部幅49.5m、同高約7.5m、後円部径66m、同高約10mであることがわかっています。
 発掘作業が行われていないことから出土品がなく、築造された年代は不詳とされていますが、墳丘の平面系が、京都府の天皇の杜古墳や奈良県の佐紀陵山古墳と類似することから、4世紀後半の築造と推定されています。これにより、同じ台地上の北西500mに所在する「宝萊山古墳」(東京都指定史跡、東京都指定史跡)に次いで築造された、当時この地方に勢力があった首長の墓と考えられています。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 墳丘南側のくびれ部付近には、「史跡 亀甲山古墳」と刻まれた石碑と大田区による案内板が立てられています。

国指定 史跡亀甲山古墳
 この古墳は、大田区から世田谷区におよぶ
荏原(台)古墳群中最大の前方後円墳である。
発掘調査は行われておらず詳細は不明である
が、埴輪、葺石等がないことや、その古墳の
形により、五世紀前半頃の築造と考えられ、
当時、この地方に勢力のあった首長の墓と推
定されている。
この前方後円墳は、後円部南端を浄水場建設
工事により削られているものの、比較的よく
原形を保っている。港区芝公園内にある丸山
古墳とならんで、都内の代表的古墳である。
昭和三年、国の史跡に指定されている。
                 大田区



「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 西から見た亀甲山古墳の前方部のようすです。ちょうどこのあたりが削られているようです。
 この亀甲山は鎌倉時代の古戦場で、この当時の侍が隠れていた穴が多く存在すると地元の人には言い伝えられているようです。亀甲山古墳の南には「亀塚横穴墓群」が、また西側には「多摩川台公園内横穴墓」などの横穴墓が確認されており、おそらくは侍が隠れていた穴とは、当時開口していたかもしれないこれらの横穴墓であると思われます。ひょっとしたら、合戦を生き延びた侍達が、横穴に隠れて雨風を凌いだというようなことが本当にあったのかもしれません。。。


「亀甲山古墳(西岡第46号古墳)」―国指定史跡―

 亀甲山古墳が国の史跡に指定される昭和3年以前には古墳を覆っているフェンスは無く、自由に散策できたことから、周辺の子供たちの遊び場にもなっていたようです。画像は唯一フェンスが存在しない、墳丘を見ることが出来る場所だったのですが、現在は立ち入り禁止となっているようです。。。
 古墳には盗掘を受けた痕跡がないといわれていますが、いつの日か行われるであろう発掘調査でどんな埋葬品が出土するのか、興味は尽きません。。。

<参考文献>
大田区教育委員会『大田区の埋蔵文化財 第12集』
大田区教育委員会『大田区の史跡名勝天然記念物』
大田区立郷土博物館『大田区古墳ハンドブック―多摩川に流れる古代のロマン』
現地説明版


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  1. 2017/07/31(月) 00:58:52|
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