
今回は、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集の最終回、画像は「白鳥塚古墳」です。
実は、今回名古屋を訪れたのは、愛知三大古墳といわれる熱田区の「断夫山古墳」、犬山市の「青塚古墳」、守山区の「白鳥塚古墳」を巡って、「御墳印」をいただこう!という企画でした。
この古墳には、ヤマトタケルノミコトにまつわる伝説が残されています。
ヤマトタケルが伊吹山の賊を征伐に行く途中、伊吹山麓で蛇に足を噛まれてしまいます。
傷口は痛みが激しく、川で足を洗っていたところ、一羽の白鳥が現れました。
ヤマトタケルは白鳥に尾張まで連れて行ってくれと頼みます。
ヤマトタケルを乗せた白鳥は、尾張の東谷山の山麓に着いたところで死んでしまいました。
ヤマトタケルはその場所に白鳥を葬りましたが、そこが白鳥塚であると言い伝えられています

これは、古代体験広場の大塚古墳から見た白鳥塚古墳。
左が前方部、右が後円部という状況です。

左手前が前方部、右奥が後円部です。
この古墳には、後円部頂部に石英が敷かれ、斜面の葺石の上には多量の石英が撒かれていたそうです。
多量の石英で墳丘が装飾されていて白く輝いていたことが「白鳥塚」の名の由来であるともされています。

左奥が前方部、右手前が後円部です。
ね。墳長115mよりも大きく感じますよね。
前方部長は約43m、後円部径は約75mと、前方部に比べて後円部がかなり大きいんですよね。
それが古墳が大きく見えた要因かと思いますが、肌感覚としては150mぐらいあるかと思いました。。。

後円部には石段が設けられていて、登ることができます。
古墳は、昭和の初めに後円部墳頂中央部の発掘調査が行われましたが、埋葬施設や副葬品は見つからず、その後、正式は発掘調査は行われていません。
ただし、平成18年(2006)に行われたレーダー探査、電気探査では、南北に主軸を持つ2基の埋葬施設が東西に並んで存在する可能性が指摘されているそうです。

墳頂部には、発掘調査で出土した石英の転落石を使って、石英の敷石が推定復元されています。

後円部の西側に「渡土手」と呼ばれる土手状の高まりがあり、斜面には葺石が積まれていたそうです。
古墳の外から墳丘へ渡るための通路であったと考えられています。
多分このあたりのはず。。。。。

これは前方部から後円部を見たところ。
埴輪は存在せず、この地域に埴輪を並べる文化が伝わる以前に造られた古墳であると考えられています。
渡土手があることや墳丘が石英で飾られていることは、奈良県の大型前方後円墳と共通点が認められ、この白鳥塚古墳の被葬者はヤマト王権と強い結びつきがあった人物と考えられています。

じゃ〜ん。
これが白鳥塚古墳の御墳印です。。。.゚+.(・∀・)゚+.
御墳印は、近くの「体感!しだみ古墳群ミュージアム」で頂くことができます。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/17(木) 23:47:51|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集の第七回、画像は「東谷山白鳥古墳」です。
東谷山の麓、庄内川を見下ろせる標高約43mの河岸段丘上にある古墳ですが、古墳の北側を東西に「名古屋多治見線」という道路が走っていて、その道路沿いに古墳が存在するので、一眼で「こりゃ古墳だよ」とわかります。

古墳はキレイに整備されていて、「史跡 志段味古墳群 東谷山白鳥古墳」と刻まれた石碑が建てられています。
6世紀以降、志段味古墳群の中でも東谷山の西側一帯で横穴式石室をもつ小型の古墳が約50基造られましたが、この「群集墳」と呼ばれる小型古墳の集まりの中で唯一、横穴式石室が完全な形で残されており、貴重な古墳です。
古墳は径約17mの円墳で、石室内からは馬具、刀、鉄鏃、須恵器などが出土しており、古墳は6世紀末から7世紀初めに築造されたと推定されています。

石室内は照明器具が設置されていて、見学しやすくなっています。
石室の平面形は、石室の幅が奥から入り口に向かって徐々に狭まっていくもので、床面に並べた人頭大の石の石列で、被葬者を納める玄室と通路の羨道を区別しています。

東谷山白鳥古墳の西側に「お。こりゃ5号墳なんじゃないか」という高まりが見えましたが、ホントに5号墳なのか自信なし。。。
志段味古墳群の東のエリアは、未整備ながらもまだかなり多くの古墳が残されているようですが、今回は訪れたのが真夏であったこともあり、深追いはしませんでした。
次回はぜひとも冬に訪れて、尾張戸神社古墳や中社古墳、南社古墳といった、東谷山のの尾根沿いに造られた古墳も見学したいと考えています。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/15(火) 16:23:31|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集の第七回、画像は「勝手塚古墳」です。
古墳の墳丘上は勝手社が祀られていて、その墳丘上が境内となっているので、こんもりとした森になっています。
森の木の形状がなんとなく前方後円形になっているので、「あ、あそこが古墳だな」と、すぐにわかります。笑。
画像の左側が前方部、右側が後円部という状況ですね。。。
全長約55mの帆立貝式前方後円墳で、画像の左側が前方部、右側が後円部という状況です。

画像は、西からみた勝手塚古墳です。
右手前が前方部、左奥が後円部という状況で、墳丘上には神社が祀られたにも関わらず、古墳自体は良好な状態で残されていることがわかります。

前方部の南端に石段が設けられています。
前方部上にも祠が祀られているようなので、まずは前方部から参拝しました。

前方部上の様子です。
多少は、墳丘上は平らに整地されているのかな?とは感じますが、前方部としての形状はっよく残されているように感じます。

前方部から後円部を見たところ。
かなり大きな古墳ですよね。
さすが国指定。笑。

素晴らしいのは、墳丘周囲をめぐる濠と堤が良好な状態で残されていることです。
愛知県内で堤をもつ古墳は少ないそうで、堤の高まりが残されているというだけでも貴重です。

後円部にも石段が設けられていて、勝手社を参拝することができます。

後円部の平坦面に埴輪列が復元されていました。
この古墳からは円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形埴輪、人物埴輪が出土しており、埴輪列はかなり密に並べられていたそうです。。。
古墳は6世紀初めの築造と推定されています。

後円部上の様子です。

古墳ってさ。見上げてみるよりも見下ろしてみたほうが大きさを実感できますよね。
「あ、こんなに高かったか、、、」といつも思います。
それにしてもさ。
名古屋に行ったその日にブワッとさらに気温が上がって、その後ずっと暑いって感じだし。
今年は10月まで暑いらしいけど、紅葉の時期が遅れるほど古墳の散策に適した時期は短くなるし、困ったもんだよ。。。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/13(日) 19:04:39|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第六回です。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」のうちの1基、「大久手5号墳」です。
墳頂は約38mの帆立貝式前方後円墳で、右手前が前方部、左奥が後円部という状況です。
墳丘南側は、戦後の大久手池の拡張工事により削られていて、現在は土手になっています。
墳丘が比較的よく残っていた北側が修復整備されているという状況で、南側は土手になっちゃっていますね。笑。

こ〜んな感じ。
墳丘の周囲には濠がめぐっており、墳丘斜面には葺石が積まれ、後円部一段目の幅広のテラスで、少し幅を開けて並べられた埴輪列が見つかっています。

北側から見たところ。
当日に解説をしてくださったボランティアの方は、午前中からかんかん照りで気温も35度以上となっているにもかかわらず、汗びっしょりで解説してくださいました。
サラリーマンを引退してから、ボランティアでこの古墳群の解説をするようになったのだそうですが、知識もすごいし話術にも長けていて、最高に楽しい時間を過ごすことができました。(暑かったけど)
すごく良かったです。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/10(木) 23:45:08|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第五回。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」の1基、「大久手3号墳」です。
志段味古墳群中唯一の方墳で、一辺約14mの墳丘の周囲には周溝が巡っています。
出土した須恵器から5世紀後半に築かれた世推定されています。
墳丘は復元されているそうです。
誰もいないのを見計らって撮りましたが、かなり子供たちの遊び場となっていました。。。

こちらは「大久手4号墳」です。
発掘調査により、盛り土の大部分は江戸時代以降につまれたものであることがわかっています。
江戸時代の塚である可能性も考えられているようですが、盛り土からは古墳時代の須恵器や埴輪も出土しているそうです。
江戸時代に、一度壊してから復元した、みたいなことなのかな。。。?
よくわからんけど。。。

近寄ってみたところ。
整備された「古代体験広場」の南西隅に保存されています。

墳丘上の様子。
今でもちゃんと地元の人に大切に供養されているようです。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/09(水) 23:55:20|
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栃木県下野市の埋蔵文化財センターで開催されている「とちぎの勾玉展」を見に行きました。
忘れないように記しておこうと思います。
勾玉は、いわゆるアクセサリーですよね。
古くは縄文時代から存在したそうですが、なぜか古墳時代に爆発的な人気を博します。
今回、栃木県から出土した勾玉が一気に公開されていますが、私個人的にも縁のある勾玉が展示されているということもあり、見学に行ってきました。

こ〜んな感じで、すごい数の勾玉が展示されています。
縄文時代には「牙玉(きばたま)」ってのが存在したそうで、これは動物の牙をアクセサリーに流用したものなのですが、一説にはこの牙玉が、勾玉の原型ではないかとも考えられているそうです。
もちろん真相はわからないのですが、私には説得力があると感じられる説です。。。

これが、じっくり見たかった、矢板市の「町東遺跡」で採集された勾玉です。
町東遺跡はこの6月まで発掘していましたので、採れたてホッカホカの勾玉です。
町東遺跡の「大塚A古墳群」内に今も「大塚古墳」が現存しており、この大塚古墳の周囲から出土したものです。
勾玉としてはかなり小さなもので、私はこんな小さな勾玉は初めて見ました。。。

「江曽島南原遺跡」から出土した、「子持勾玉」です。
一体何を模したものなんでしょうね。
魚みたいにも見えるけど。。。

「宮内北遺跡」から出土した子持勾玉。
こりゃまるでサックスみたいだ。。。

こちらは「根古谷台遺跡」から出土した子持勾玉。
これも魚かなあ。。。
この「とちぎの勾玉展」は、8月27日まで公開されています。
とにかく毎日クッソ暑いしさ。
この時期は冷房の効いた博物館や資料館廻りに限るよ。。。
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- 2023/08/07(月) 00:43:21|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第四回です。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」のうちの1基、「東大久手古墳」です。
墳頂は約39m、後円部径約27m、前方部長約12mという、帆立貝式前方後円墳です。

訪れた当日は、墳丘の周囲がカラーコーンで囲われていたので、墳丘内には無理に突入しませんでした。
土取りなどでかなり覆土は削り取られていて、なんとか基底部が残されているのかな、という状況です。
築造当時は墳丘は二段に築かれていたと推定されているそうです。。。

ご覧の通り、墳丘上はボコボコ。。。
ちなみに後円部一段目のテラスでは、隙間なく並べられた埴輪列が検出されており、設置された埴輪の本数は170本と推定されています。
また、南側のくびれ部付近では、須恵器を用いた祭司が執り行われていたと考えられています。

画像の右側が、東大久手古墳から出土した円筒埴輪です。
埴輪って、窯の中の焼かれた場所によって色が変わるんですよね。
色々知ると面白いです。。。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/06(日) 19:48:23|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第三回。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」のうちの1基、「西大久手古墳」です。
訪れたこの日は、しだみ古墳群ミュージアムが行っている「古墳ガイドツアー」に参加して、ガイドの方の解説を聞きながら古墳を巡ったのですが、なんとこの西大久手古墳では発掘調査が行われている真っ最中でした。
その週の土曜日に現地説明会が行われる予定であったそうですが、残念ながら私は木曜日に帰宅予定で参加できず。
しかし、担当の学芸員の解説までも聞くことができましたし、なんというラッキーな感じですよね。。。
この調査により、西大久手古墳が前方後円墳であるのか、帆立貝型古墳であるのか判明するそうです。
現状を見学しても、うっすらと前方後円の形状が確認できるような気がしますが、これは復元してあるのかな?
左手前が前方部、右奥が後円部という状況です。

発掘中の写真もバシャバシャ撮ってしまったのですが、このタイミングで公開していいのか微妙だし、ここは忖度しておくことにします。。。
当日は周溝が検出されていましたが、古墳には葺石が葺かれており、周溝に転がり落ちた葺石が確認されていました。
画像は、墳丘横に集められた石材で、ガイドツアーの解説のボランティアの方の足が見えています。。。笑。

古墳は全長約37mで、築造当時は後円部が二段に築かれ、葺石が葺かれて埴輪が並べられていたと考えられています。
5世紀中頃に築造されたと推定されているようです。
ちなみに土曜日に現説があったんだけど、2泊2日の弾丸ツアーだったし、現説はあっさり諦めました。。。

西大久手古墳からは円筒埴輪、馬形埴輪、鶏形埴輪、巫女形埴輪など、さまざまな埴輪が出土しています。
画像は鶏型埴輪ですが、動物埴輪の中で最初に造られたのがニワトリなんだそうです。。。

画像は、巫女形埴輪です。
畿内のものと同様に、意須衣、襷、裳を表現した立派なものですが、埴輪の生成法には東日本の特色も見られるそうです。
地元の古墳ばかりしらみ潰しにまわるのも悪くないけどさ。
やっぱりいろいろな土地をまわるのは楽しいよね。
行きたいところは山ほどあるしな〜。。。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/05(土) 21:21:14|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第二回です。
画像は、志段味古墳群の支群である「大塚古墳群」の1基、「大塚2号墳」です。
円墳で、墳丘はあまりよく残っていなかったそうですが、わかりやすく復元されています。
奥の一段高くなった道路と同化しているのがちょっと面白い感じ。。。

ちょっと角度を変えて。
埴輪や須恵器がが出土しており、5世紀末から6世紀初めの築造と推定されています。

こちらは「大塚3号墳」です。
かなり崩されているのですが、復元せずに現状保存されている?のがいい感じ。。。

ほら。
こちら側はかなりガッツリと崩されています。
この3号墳は発掘調査により周溝が検出されており、直径19mの円墳であることがわかっています。
葺石や埴輪はなく、築造時期ははっきりわからないようですが、5世紀後半頃の築造と推定されています。

3号墳の傍らに前方後円形の高まりが!!!
公園整備にあたって出てきた石を、地元の子供達が集めて造ったのだそうです。
全長5mほどの前方後円墳ですな、こりゃ。笑。
訪れた日が今年最高気温みたいな感じで、クラっときながら見学しましたが、きちんと整備が行き届いていて素敵な史跡公園でした。
志段味古墳群、まだまだ続きます!
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/03(木) 22:29:36|
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急にどこかに行きたくなってしまって、名古屋へ2.5日の弾丸ツアーを敢行しました。
愛知三大古墳といわれる「断夫山古墳」、「青塚古墳」、「白鳥塚古墳」を巡って御墳印をいただこうという目標と、白鳥塚古墳のある「志段味(しだみ)古墳群」をゆっくりと見学しようという企画です。
真夏の古墳見学は、クモの巣やスズメバチ、蛇や野生動物など危険度が高く、開店休業状態だったわけなのですが、整備されている史跡公園なら大丈夫だろう!ということで、深夜の高速をぶっ飛ばしました。
2日ともよく晴れて天候に恵まれたものの、猛烈な暑さに悩まされましたが、なんとか無事に帰ってくることができました。。。
志段味古墳群は、古代豪族尾張氏の祖先神を祀る尾張戸神社が鎮座する「東谷山」の山頂から山麓、庄内川流域に広がる河岸段丘上に、東西1.7km、南北1kmの範囲に分布しています。
これまで確認されている66基のうち33基が残存しており、現存する古墳のうち、白鳥塚古墳、尾張戸神社古墳、中社古墳、南社古墳、志段味大塚古墳、勝手塚古墳、東谷山白鳥古墳の7基が「史跡 志段味古墳群」の名称で国史跡に指定されています。
志段味大塚古墳、大塚2号墳、大塚3号墳、東大久手古墳、西大久手古墳、大久手3号墳、大久手4号墳、大久手5号墳が整備された史跡公園内に保存、公開されており、ボランティアのスタッフによる古墳ガイドツアーは毎日開催されています。
画像は、志段味古墳群の支群である「大塚古墳群」の1基、「志段味大塚古墳」を北西から見たところです。

この古墳は、全長約51mの帆立貝式前方後円墳です。
築造当時の状態に完全復元されており、葺石や埴輪も再現されていました。
大正12年(1923)に、東海地方で初めてといわれる学術的な発掘調査が行われ、粘土槨からは五鈴鏡、馬具、甲片、鉄鏃、大刀、帯金具、革盾片、埴輪、須恵器などが出土しており、5世紀後半の築造と推定されています。

古墳の南側の基壇部分の葺石だけがなぜかスカスカしていますよね。
古墳の北側を庄内川が流れており、つまり北側から見上げるように築造されているわけですが、北側から見上げて見えない部分、つまり南側の下部の葺石は手を抜いた、ということらしいです。
工期に間に合わなかったのか、石材が不足したのか、それとも単に楽をしたかっただけなのか真相はわかりませんが、そりゃまあ現代だって色々ありますからね。
それにしても1500年も経ってから手抜きがバレるとは、切ないです。。。

ほら。北側はちゃんと密集して石が葺かれていますよね。笑。
後円部斜面の葺石がまだらに見えると思います。
これは古墳の築造当時に葺石を葺く際、墳頂から裾部に向かって紐を垂らして墳丘斜面を区切ったうえで、それぞれの区画を別々の工員に担当させたと考えられているそうで、だから区画によって葺石の葺き方が違っているのだそうです。
紛糾南側の葺石がスカスカになっているあたりも含めて、そんな細かいところまで復元していることがすごい!

墳頂部には、埋葬施設の位置が記されています。

後円部から前方部を見たところ。

志段味大塚古墳から出土した蓋形埴輪。
偉い人に後ろからさしかける傘を蓋(きぬがさ)というそうですが、蓋形埴輪は初めて見ました。

こちらも志段味大塚古墳から出土した埴輪で、右が円筒埴輪、左は朝顔型埴輪です。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/07/29(土) 19:09:18|
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