古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

栃木県那須郡那須町 「舟戸古墳群」

栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 「舟戸古墳群」は、栃木県那須郡那須町に所在する古墳群です。那珂川と余笹川の合流地点のすぐ西側にあるこの古墳群は那珂川流域最北端の古墳群であり、栃木県最北端の古墳群でもあります。現在3基の高まりが残されており、北から2号墳、1号墳、3号墳と呼ばれています。「那須町史跡 ハッケトンヤ縄文式遺跡及び船戸古墳群」と刻まれた石碑の横には説明板が設置されており、次のように書かれていました。

  ハッケトンヤ縄文式遺跡および船戸の古墳群
 ハッケトンヤ遺跡は、余笹川と那珂川の合流地点内側に位置し、丘陵の突端部で現在の黒川発電
所の崖の上あたりにあります。ハッケトンヤとは地名で、急な崖の上を意味する古語であるといわ
れています。
 この遺跡は、縄文時代中期(約5000年前)以降の代表的な遺跡であり、面積は約30gです。遺
物としては、打製石斧・磨製石斧・石鏃・石皿・土器片等が多数発見され、加曽利EⅡ式と同Ⅲ式
のものが多く見られます。ここは平地からの高さが20mあり日当たりもよく、また那珂川と余笹
川にはさまれ狩猟、漁猟のための自然条件が大変よい場所です。

 舟戸古墳群の主墳である前方後円墳は、帆立貝式と呼ばれるもので、前方部が通常のものより
も短く、全長は約10m、高さは約3mあります。この古墳は、東に開口して羨道があり、横穴式
石室をもち、共に那珂川の安山岩を利用して内側を築いています、明治のころ、人骨粉と直刀二
振りが出土したと伝えられていますが、確かではありません。
 いくつかある円墳は、主墳よりも小振りですが規模からみてこの地方の小豪族のものと思われ
ます。被葬者やそれらの人々の居住地については不明です。
 那珂川水系に多い古墳群のうち最北端のものであり、関東最北端の古墳群でもあります。
                                   那須町教育委員会


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 東から見た舟戸古墳群全体のようすです。画像の中央左寄りに見えるのが1号墳。右側が2号墳。左端に見えるのが3号墳です。画像右側の崖の上に「ハッケトンヤ縄文式遺跡」が所在します。



栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 画像は、北東から見た舟戸古墳群です。右手前が2号墳。中央の奥に見えるのが1号墳。左に僅かに見えるのが3号墳です。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 画像が、北東から見た「舟戸古墳群1号墳」です。3基の古墳の中央にある主墳です。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 同じく、南西から見た舟戸古墳群1号墳です。帆立貝式の前方後円墳であると考えられており、画像手前の長さ5メートル、高さ1メートル程の高まりが前方部であるとされています。埋葬施設は、河原石を積んだ横穴式石室が確認されているようです。墳丘にある窪みにトタンが被せられており、ここから石室を見ることが出来るのかもしれませんが、無理はしませんでした。。。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 同じく南西から見た舟戸古墳群1号墳です。墳丘裾部に見えるのは葺石でしょうか。。。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 画像は、南西から見た「舟戸古墳群2号墳」です。墳丘の北側が大きく削平されているようです。『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 には「現地形からみて古墳でない可能性もある」と書かれています。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 同じく、南から見た舟戸古墳群2号墳です。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 東から見た「舟戸古墳群3号墳」です。1号墳よりも、こちらの3号墳のほうが前方後円墳らしき形状に見えます。。。


栃木県那須郡那須町「舟戸古墳群」

 南から見た舟戸古墳群3号墳です。1号墳同様に、墳丘にある窪みにトタンが被せられています。この下に石室が開口しているのかもしれません。。。

<参考文献>
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
現地説明版


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  1. 2017/06/14(水) 03:30:52|
  2. 那須町•大田原市•那珂川町
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「庚申塚」

「庚申塚」

 国立市内にはかつては3ヶ所に庚申塚が存在したようですが、下谷保の東方の原と石神の市役所通りに存在したという2ヶ所は開発により消滅しており、唯一残されているのが、画像の国立市西3丁目に所在する庚申塚です。国立市立国立第二中学校の北側を走る旧江戸街道の道沿いにあり、土で盛ったマウンドは存在しないようですが、現在も庚申塔が祀られています。
 現地に設置されている、国立市教育委員会による説明板には次のように書かれています。

 庚 申 塚
 庚申塚は、悪疫を防ぎ、長寿を招くという中
国の庚申信仰に基づいて造られたものです。
 中国の道教では、六十日ごとにめぐってくる
庚申(かのえさる)の日は、人間に体内にいる三
尸の虫が、人の眠りに乗じて天帝にその罪悪を
告げ、人の寿命を縮めるという教えがあり、そ
の夜は眠らずに過ごすという風習が生まれまし
た。これを庚申待といいます。
 日本にも庚申信仰は古くから伝わっていまし
たが、江戸時代に入ると、庶民の間に庚申塔造
立や庚申待の風習が広まりました。
 この庚申塚は、かつての江戸街道に面して造
られており、今でも十月二十六日には庚申待の
行事が行われています。
 平成二年三月
             国立市教育委員会


「庚申塚」

 古代に築造された古墳を流用して造られた庚申塚も存在する中、下谷保古墳群など多くの古墳が築造された立川段丘縁辺部からさほど遠くない位置に所在する、この庚申塚を見学に訪れたわけですが、古墳とは無関係であるようです。
 庚申塚の名称はかつては古い道などに残されていたようですが、同じ敷地内のアパート名にも平仮名で「こおしん荘」と命名されているあたりが、いい味を出しているようです。。。

<参考文献>
原田重久『わが町国立』
くにたち中央図書館『くにたちしらべ NO.15』


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  1. 2017/06/06(火) 03:14:28|
  2. その他の古墳・塚
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「谷保古墳」

「谷保古墳」

 「下谷保古墳群」は、青柳に点在する「青柳古墳群」よりも一段高い立川段丘縁辺部に、東西700m、南北150mの範囲で分布する古墳群です。これまでに、発掘調査により下谷保1~10号墳までの10基が古墳として確認されており、さらに古墳ではないかと推測される遺構も存在しているようです。
 今回紹介するのは「谷保古墳」です。『東京都遺跡地図』には国立市の遺跡番号23-5番の遺跡として登録されている古墳で、画像はこの谷保古墳を西から見たところです。発掘調査が行われていないため、埋葬施設や周溝の詳細は不明で、また埴輪や葺石の存在もわからないようですが、古墳ではないかと考えられている遺構で、国立市谷保の民家の敷地内に残されています。平成6年(1994)には多摩地区所在古墳確認調査団により測量調査が行われており、東西径約16m、南北径約14m、高さは約1.8mで、墳丘の東側がコンクリートの壁により裾部が削平、また残る三方は住宅により囲まれているものの、比較的良好な状況で残存しているようです。
 

「谷保古墳」

 鳥居をくぐると、墳丘の中腹には石段が設けられており、この石段を登ると墳頂部には祠が祀られています。


「谷保古墳」

 墳頂部のようすです。
 当日は、土地の所有者に声をかけて見学させていただきました。ありがとうございました!

<参考文献>
原田重久『わが町国立』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/06/02(金) 01:20:24|
  2. 下谷保古墳群
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「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

 「谷保天満宮」は東京都国立市谷保に所在します。菅原道真公の第三子、菅原道武公が建てたとされる、湯島天神、亀戸天神とならび関東三大天神の中の一社と称される神社です。この谷保天満宮参集殿の東側、天神坂上の梅林北方に祀られているのが、画像の「第六天神」の祠です。祭神は、面足命(おもたるのみこと)と煌根命(かしこねのみこと)の二柱の神で、これが古事記に出てくる神代の第六代目の神であることから第六天神と称されています。


「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

 画像は、第六天神社を北西から見たところです。学術的な調査が行われていないことから『東京都遺跡地図』には未登録となっているようですが、この神社は削平された古墳の墳頂部に建てられていると考えられており、1995年に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「崖線上に存在する為に、北側の甲州街道寄りから観察すると高さのない平坦な墳丘に見えるが、南側から観察すると約1.5m程の高さがある。」と記述されています。この場所が古墳であれば、「下谷保古墳群」の西端に位置する古墳ということになるようです。
 古墳はかなり平坦に削平されているようですが、この角度から見ると僅かな高まりを見ることが出来ます。


「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

 墳頂部のようすです。祠の周囲の河原石は、埋葬施設の石材を流用したものではないかと想像してしまいますが、真相はわかりません。。。


「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

 画像は、南東から見た第六天神社です。以前は、古墳の南側に建物があったので、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』の「南側から観察すると約1.5m程の高さがある。」という記述を確認することは難しかったのですが、この建物が取り壊されたことにより、古墳の全体像をカメラで捉えることが出来ました。確かに甲州街道側から見るとほとんど高さは感じられないのですが、この角度から見るとはっきりと古墳を感じることが出来ます。


「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

 この谷保天満宮の東に広がる梅林遺跡では近年、古墳の石室と周溝が調査されています。これまでにこの周辺で発見されている古墳の埋葬施設はすべて河原石積みの石室でしたが、近年に発掘された石室は切石を積み上げたものだったそうです。
 この古墳は未発掘であることから埋葬施設については詳細不明ですが、石材らしき河原石を見ることが出来ます。主体部は河原石積横穴式石室でしょうか。。。


「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

 河原石を接写!


「下谷保古墳群 未登録古墳(第六天神社)」

 墳頂部から南側を見たところです。まだまだ、意外と高さが残されているようすがわかると思います。
 
<参考文献>
くにたち郷土文化館・国立市教育委員会『国立の古墳-四軒在家遺跡の発掘調査-』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/06/01(木) 01:12:35|
  2. 下谷保古墳群
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「加藤塚」

「加藤塚」

 画像は、瑞穂町大字箱根ケ崎にある「加藤神社」を南から見たところです。この神社の境内には、『東京都遺跡地図』には未登録であるものの、瑞穂町の史跡として指定されている「加藤塚」が所在します。多くの伝説が残されている塚ですが、古墳を流用したものではないかとも考えられていたようです。

 この神社と塚については、古くは江戸時代の地誌類に多くの記述が見るられ、『武蔵名勝図会』には「加藤景忠の墳 箱根ヶ崎村。日光街道より一町程西の方田圃の中に塚あり。円径六間許。高さ五尺なり。」と書かれています。説明板にある「直径11メートル、高さ1.5メートル」という塚の規模は、恐らくはこの武蔵名勝図会の記述を参考にしているのかと思われます。また、『新編武蔵風土記稿』には「民家より南二十間許をはなれ、田圃の間芝地六間に五間許の所なり、そこに五輪の毀れたる三基あり、これ加藤丹及び妻子の碑なりといへども、文字は剥落したれば讀がたし、また塚上に獨窓院明天清月居士、梅林院清香妙通大姉と云を正面にえり、左に天正三年乙亥十二 月十二日、兩體同加藤氏法號とえり、右に施主師井四郎右衛門とえりたる長三尺、幅九尺許の碑あり、また塚の下右の傍に、正面には安宗徹心居士の塔、左は于時天正十壬午四月十二日、於此所義死、右には加藤丹後守家臣、俗名溝口彦右衛門尉行輝とえりたる、高さ三尺余、幅六寸許の碑あり、この外塚上に加藤父母三名の法號えりたる碑もあり、」と、この当時、五輪塔が3基と石碑が3基存在したようすが書かれています。


「加藤塚」

 画像が、南から見た現在の加藤塚です。昭和9年(1934)に多摩史談会により行われた第六回見学会の『狭山・箱根ケ崎村方面の記』にはこの塚についての記述が見られ、「そこで一行は其の丹後守一家の墳墓の地へ弔いに出かけた。墳墓は径六間高五尺位の円墳上にあり、大なる欅がある。欅の樹齢も正に天正頃のものであろう。五輪の塔が三基ある。その五輪も正に天正頃のものである。が一基だけ立って居って、二基は散乱して居る。(後略)」と書かれています。
 おそらく戦前頃までは原型が保たれた状態で残されていたものと思われますが、昭和18年(1943)の行幸道路の建設の際に境内が道路により分断され一部が破壊。その後、戦後の横田基地の滑走路延長の際に、航空機の離着陸に障害が出る恐れがあることから塚上の大樹が伐採され、この際に塚の破壊が大きく進んだものの、この時点では塚の範囲は確保されていたようです。そして、昭和50年代に行幸道路から国道16号線となった際の拡張工事において塚の半分ほどが削平されて消滅したようです。そして、平成23年(2011)、東京都による道路整備事業に伴う発掘調査が行われ、その後の都道拡張工事により塚は消滅。移設された加藤神社の北側に築山が復元され、遺された墓石が安置されて塚が復元されています。
 周溝等が確認されなかった状況や、封土中から出土した遺物から、この加藤塚は古墳ではなかったと考えられ、また調査時にすでに塚の中心部分が破壊されて消滅していたことから、この塚が墳墓であるという確証は得られなかったようですが、人工的に築造された塚であることは間違い無いようです。


「加藤塚」

 現在の加藤塚前には瑞穂町教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

 町旧跡 加藤塚跡地
 所在 東京都西多摩郡瑞穂町大字箱根ケ崎三一五番地
 指定 平成二十五年』二月二十八日

 武田氏の滅亡後、その家臣であった加藤丹後守景忠は妻
子及び数名の家来をつれて当地まで逃れてきた。多磨郡を
越えて入間郡に入る事ができずこの地で果てた。天正十年
(一五八二)四月十一日のことである。
 村民はその死をあわれみ、直径十一メートル、高さ一、
五メートルの塚を築き葬った。二基の五輪塔はその当時の
ものと思われる。
 寛政年間(一七九〇年代)に至り、加藤氏の後裔といわ
れる上野原の加藤最次郎が石塔を建てたり、練馬区の子孫
が円福寺に馬上丹後守像等を納めたのをきっかけに、村民
の間にも信仰の念が深まり、加藤八幡宮が建立された。
 塚の上には、周囲約八メートルの大欅をはじめ、杉・桜・
くぬぎ等の大木が茂っていたが戦後航空障害と都道百六十
六(旧国道十六)号線の開通のため伐採された。そして、
この度、都道拡張に伴い、塚を現在の地に移し、社も新築
した。それに伴って、町史跡だった加藤塚を町旧跡と改め
た。
 平成二十六年三月三十一日建立
                  瑞穂町教育委員会


「加藤塚」

 加藤塚の北東数十メートルのあたりには、加藤丹後守の妻の墓とされる「姫塚」が存在したといわれています。『武蔵名勝図会』にはこの姫塚について「これは丹後守が室を埋めたる塚なりと云う。塚の広狭、景忠が塚に同じ。景忠が古墳より廿間余離れて、民居の変にあり…」と書かれており、廿間余ということはおそらく、加藤塚から北東に40~50メートル程の場所に姫塚が存在したものと思われます。
 昭和9年(1934)に多摩史談会により行われた第六回見学会の『狭山・箱根ケ崎村方面の記』には「風土記にある姫塚に行って見たら、如何にも貧弱なものとなって仕舞った。土地の人が姫塚と称え、風土記に載って居るから、成程と言うものの、然らざれば、何んとも分らない姿となって居る。」とあり、戦前にはすでに塚の破壊が進んでいたようですが、現在は姫塚は完全に消滅しており、その位置さえも分らなくなっているようです。
 画像は、姫塚の跡地と思われる周辺のようすです。『町指定史跡 加藤塚』に掲載されている遺跡の分布図に記されていた場所で、加藤塚の北東40~50メートル程の地点です。残念ながら塚の痕跡は何も残されていないようです。。。

<参考文献>
瑞穂町役場『瑞穂町史』
瑞穂町史編さん委員会『瑞穂小史』
東京都建設局西多摩建設事務所・瑞穂町教育委員会・株式会社武蔵文化研究所『町指定史跡 加藤塚』
現地説明版


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  1. 2017/05/30(火) 23:46:36|
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