古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

倉賀野古墳群 その2「庚申塚古墳(佐野村第62号古墳)」

「庚申塚古墳(佐野村第62号古墳)」

 「倉賀野古墳群」の第2弾は「庚申塚古墳」です。

 昭和34年に発掘調査が行われており、粘土廓や石棺が確認されているようです。骨蔵器や板碑が出土しているようですので、「庚申塚」の名の通り、後世に塚として再利用されていたのかもしれません。
 7~8年前に一度訪れたときは真夏で、墳丘上も草ぼうぼうという状況だったので、次に来る機会があれば冬にしようと思っていました。墳頂部にある石棺を見ることができたら良いなあと思っていましたが、昨年訪れた際には墳丘がシートで覆われてソーラーパネルが設置されており、太陽光発電が行われていました。
 都心部ではなかなかお目にかかれないような大きな円墳なのですが、ここじゃソーラーパネルの台だぜ、と、へなへなと力が抜けてしまいました。笑。
 何年も経ってしまいましたし、仕方がないですね。

 気を取り直して「倉賀野古墳群 その3」に続く。。。


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  1. 2018/02/08(木) 23:35:14|
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倉賀野古墳群 その1「浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)」―高崎市指定史跡―

浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)

 今回は少々脱線して、群馬県高崎市の「倉賀野古墳群」の見学の記録です。
 お休みの日に実家に帰省する際、まっすぐ帰らず何処かに行きたくなってしまって、ちょっと早起きして群馬方面に向かってしまったのですね。実は7〜8年前に一度、群馬県にハマってしまったことがあって、何度も通って古墳を見て回ったのですが、当時の写真は消失してしまってほとんど残っていないのです。なので、午前中に倉賀野古墳群を見て回ってゆっくりと写真を撮ることにして、その後、車をぶっ飛ばして帰省しました。笑。
 東京から高崎に向かって旧中山道を西に車で走ると、倉賀野駅を過ぎたあたりの南側に大きな古墳の後円部が見えてきます。これが、高崎市では一番大きな、群馬県内でも太田市の天神山古墳に次ぐ規模を誇る「浅間山古墳」です。
 大きな古墳なので、かなり離れないと古墳の全貌を写真に収めることができないのですが、周囲が農地ということもあってばっちりと撮影することが出来ます。そもそもこんなに大きな前方後円墳は東京では絶対に見られないし、ほれぼれしますね。。。


浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)

 画像のように、古墳北側の路上に「史跡 浅間山古墳」と刻まれた石碑と高崎市教育委員会による説明板が設置されており、その奥に大きな後円部が見えます。この説明板によると、浅間山古墳は1全長71.5mの巨大な前方後円墳で、前方部は二段、後円部は三段の築造で、葺石を持つようです。後円部の直径は105m、高さ14.1m、前方部の長さは66.3m、高さ5.5mで、同じ段丘上には「大山古墳」、「庚申塚古墳」、前方後円墳である「大鶴巻古墳」、「小鶴巻古墳」等の古墳や方形周溝墓が多数築造されていることから、この周辺地域が、古墳出現期から5世紀前半にかけて充実した墓域を形成していたことがわかっています。


浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)

 後円部を北から見たところです。国の史跡として指定されている巨大前方後円墳でありながら、墳丘が段々畑として耕作されているあたりが、むしろ「スゲエ!」と思えてしまいます。古墳は古くから宝物が埋まっているという伝説があり、掘り起こした人は祟られると言い伝えられているようですが、耕しちゃって大丈夫なのかな。。。
 主体部については発掘調査が行われていないことから不明ですが、竪穴系の埋葬施設が築かれていると推定されているようです。また、墳丘の形状や埴輪の特徴から、古墳は4世紀末から5世紀初頭に築造されたと考えられているようです。


浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)

 人ひとり通れるような道があって、後円部に登ることが出来ます。
 「古墳に登ってもいいですか?」、「いいよ?」みたいな会話があったのですが、土地の所有者だったかどうかはよくわからないのです。。。


浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)

 足元を見ると、葺石と思われる河原石が散乱しています。


浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)

 墳頂部のようす。草ボウボウです。。。


浅間山古墳(倉賀野町第1号古墳)

 すぐ横の保育園の築山でさえも前方後円墳というレベルの高さ。ぐんま、恐るべし。

 次回、「倉賀野古墳群 その2」に続く。。。


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  1. 2018/02/07(水) 22:23:36|
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「前原塚古墳(久保塚)」

「前原塚古墳(久保塚)」

 画像は、狛江市猪方3丁目に所在する「前原塚古墳」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号38番の古墳として登録されています。

 この古墳は古くは、昭和35年(1960)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査により把握されています。狛江市教育委員会より刊行されている『狛江市の古墳(Ⅰ)』には、分布調査当時の『狛江古墳群地名表』が掲載されており、前原塚古墳は「久保塚」の名称で、97番の古墳として取り上げられています。
 調査当時、墳丘はけやきのある雑木林で、周囲には畑地がひらけていました。墳丘は南側から西側の裾部が削られているものの、全体の形状はよく残されており、規模は東西径19m、南北径18m、高さは2.45mを計測されています。主体部は不明であるもの、横穴式石室の存在が想定されていたようです。
 その後、昭和51年(1976)に行われた古墳分布調査でもこの古墳は確認されており、長径21.4m、短径18.6m、高さ2.4m、墳頂平坦部6mと計測されています。雑木林となっている墳丘上には挙大の礫がみられ、これは葺石ではないかと考えられていたようです。


「前原塚古墳(久保塚)」

 南東から見た前原塚古墳のようすです。
 平成5年(1993)2月には、多摩地区所在古墳確認調査団により墳丘の測量と周溝の確認、地下レーダー探査などの調査が行われました。『多摩地区所在古墳確認調査報告書』によると、この当時の規模は直径約18m、高さ2.1 ~ 2.6 mの円墳で、墳丘上には葺石と考えられる挙大の円礫が散在しているとされています。周溝を復元すると、内径は約23.5m、外径約31.5mで、発掘調査により陸橋部が検出されています。埋葬施設を確認する為の発掘は行われなかったものの、レーダー探査の結果、墳頂部からほぼ並ぶように存在する主体部が2箇所確認されたことから、竪穴式の主体部が2基存在するとされ、それまで考えられていた横穴式石室の存在の可能性は否定されています。


「前原塚古墳(久保塚)」

 画像は墳頂部のようすです。
 訪れた当日は、土地の所有者の方に許可を得て墳丘に登らせていただきました。「挙大の円礫が散在している」という葺石と考えられる状況を確認したかったのですが、かなり落ち葉が積もっている状況で、古墳をほじくり返しているように見えてもいけないしなあとビビってしまったかもしれません。落ち葉をよけてみたりはしましたが、葺き石らしき円礫を写真におさめることは出来ず、です。笑。

 狛江市内では、「兜塚古墳」とこの「前原塚古墳」の2基が、最も良い状況で残されているようです。
 近年、急速に開発の進む狛江市内にあって、このままよい環境で保存されると良いなあと心から願います。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2018/02/05(月) 23:33:15|
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「清水塚1号墳」

「清水塚1号墳」

 画像は、狛江市猪方1丁目に所在する「清水塚1号墳」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号33番の古墳として登録されています。

 この古墳は昭和35年(1960)に行われた、当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査の際に把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている『狛江古墳群地名表』には、101番に「清水塚古墳」という名称で「円墳」として紹介されています。
 この調査当時に実測調査が行われており、同書には「円墳。西側から南側にかけて、墳丘裾部が削平され、崖状を呈しているほかは比較的形状をよく残していた。残存部は東西径14m、南北径17mで、墳頂部の平坦面は東西径5.5m、南北径4.0mで、祠が祀られていた。高さは、北側裾部で2.6m、東側で2.4mであるが、西側から南側にかけて遠まきに3.0mコンタが走っており、このことから、構築時の墳丘規模は径20m、高さ3.0m前後を推定したい。」と書かれています。また墳丘南側に凝灰岩石材が露出していたようで、横穴式石室の存在が推定されています。


「清水塚1号墳」

 画像は、墳丘を南から見たところです。石段が設けられており、墳頂部に登ることが出来ます。鳥居をくぐるとお稲荷さんと観音様が祀られています。
 昭和51年(1976)に行われた分布調査の調査記録には、「東側の墳端部が新たに削られたものの、1960年当時とほぼ同じ保存状態にある。現状は長径19.9m、短径17.4m、高さ2.5mで、墳頂平坦部には挙大の円礫が見られる。」と書かれているようですが、平成4年(1992)の多摩地区所在古墳確認調査団による調査では、露出する凝灰岩の石材は確認されなかったようです。
 ちなみに見学に訪れた当日も、この露出するとされる石材については確認することはできませんでした。


「清水塚1号墳」

 墳頂部のようすです。
 昭和51年の調査時の記録には、墳頂平坦部には挙大の円礫が見られるとの記述があるようです。散在するような円礫は見られませんでしたが、祠の周囲に並べて置かれている石がこの円礫なのでしょうか?

 この稲荷祠は、個人の屋敷内にある講中稲荷としては唯一のもので、大きな塚の上に祀られていることから「大山稲荷」と称されているようです。京都の伏見稲荷から分霊を分けてもらい、当地に勧請された稲荷であると伝えられているそうです。また、かつてこの古墳の横を泉龍寺の弁天池を水源とする「清水川」が流れていたそうですが、古墳はこの清水川を掘り下げた土を盛って造った塚であるといわれ、これによって古くから「清水塚」と呼ばれてきたようです。

 当日は、土地の所有者に声をかけてお参りさせていただきました。ありがとうございました。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』


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  1. 2018/02/04(日) 22:13:33|
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「猪方(いのがた)小川塚古墳」その2

「猪方(いのがた)小川塚古墳」

 さて、狛江市猪方3丁目所在の「猪方小川塚古墳」は、現地説明会のようすを平成24年(2012)12月31日(月) の『古墳なう』にて取り上げましたが、今回はその後の状況を掲載しようと思います。

 画像は、現地説明会が行われた平成24年(2012)10月21日に撮影した古墳のようすです。現地説明会はかなり盛況で、多くの人が訪れていました。古墳は平成25年6月には狛江市の文化財に指定され、敷地は狛江市により買収されて古墳は現状保存されています。


「猪方(いのがた)小川塚古墳」

 続いて、現地説明会から2年後の、平成26年12月に訪れた時の猪方小川塚古墳のようす。敷地はフェンスで囲まれていて立ち入りは出来ず、墳丘にはシートが被せられています。
 敷地内には、新たに狛江市教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

狛江市指定文化財(市史跡)
猪方小川塚古墳
指定年月日 平成25年6月24日

 猪方小川塚古墳は、狛江古墳群のなかでは、横穴式石室墳であることがはじめて具体的に確認されたものです。
 墳丘は大部分が削平されていましたが、墳丘を取り巻く周溝は良好な状態で遺存しており、外径30m、内径22~23mを測ります。石室の正面となる南側では周溝が途切れ、陸橋状となっています。周溝の規模から、本来の墳丘は径15~20m程度と想定されます。
 石室は天井部を失っていますが、玄室と前室からなる復室構造です。玄室は、長さ2.7m、奥壁幅1.36mを測る長狭な長方形で、壁面は約1.2mほどの高さで遺存していました。前室は、長軸1.8m、幅1.1mほどの長方形で、本来はその手前に羨道、前庭部が備わっていたものと想定されます。
 石室の築造にあたっては、「唐尺」(1尺≒30cm)が利用されたと考えられ、玄室は、長さ9尺、幅4.5尺で、前室は、長さ6尺、幅4尺で築造されたものと考えられます。
 奥壁、側壁はともに泥岩による切石切組積みで築造されており、切石表面には石室の構築や仕上げにともなう工具や調整の痕が観察出来ます。床面は、前室から玄室手前側には長楕円形の大礫が敷き詰められているのに対して、玄室奥側では泥岩の板石を敷いた上に小円礫が敷き詰められ、玄室を前後に区分する意図が窺えます。副葬品の多くは、玄室奥側の小円礫上から出土しました。
 また、残された墳丘の土層堆積状況からは、石室と墳丘の具体的な築造の方法・手順等を復元することが可能となりました。
 石室内からは、被葬者の頭部付近から2個1対の状態で金銅製の耳環が、また被葬者の両脇に束ねられるようにして鉄鏃が出土しています。鉄鏃の形態等から、この古墳は7世紀第2四半期頃に築造されたと想定されます。
 猪方小川塚古墳は、これまで5世紀半ばから6世紀半ばにかけて集中的に造営されたと考えられてきた狛江古墳群の造営時期について見直しを迫るもので、狛江古墳群の全体像、さらには多摩川中・下流域における横穴式石室墳の成立と展開や、7世紀における多摩川流域の地域社会の様相を考えるうえで、きわめて貴重な古墳といえます。

平成26年3月 狛江市教育委員会



「猪方(いのがた)小川塚古墳」

 そして画像が、今年に入ってからの猪方小川塚古墳のようすです。墳丘にシートが被せられて見学できない状況は変わっていないようですが、古墳の状況には変化が!
 昨年12月には、次の建築許可をするための公聴会が行われたようですので、いよいよ古墳の整備が行われるのかもしれません。鉄骨造の遺跡(石室)保存覆屋が新築されるようですので、楽しみに待とうと思います。

<参考文献>
現地説明版


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  1. 2018/02/03(土) 22:04:03|
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